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えいちゃーろぐ!

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「けものフレンズ」11話でむしろ心が救われた話

役割を伴って生み出されたキャラクターは、とことん無力だ。

 

うまい棒』を例に挙げたい。ドラえもんに似たあの灰色のキャラクターは、たいていの場合、パッケージで無害そうな笑顔を振り撒いていると思う。

彼(もしくは彼女)はどうして笑っているのかというと、当然、買い手に好印象を与えるためだろう。彼には、悲嘆に暮れたり、睨みつけたりする権利が与えられていない。この時点で、私はなんとなく彼の無力さが怖くなる。

うまい棒のパッケージが道端にポイ捨てされている場面なんて、もっと悲惨だ。雨に濡れて、ぐちゃぐちゃに踏み躙られたとしても、彼は無害そうな笑顔をたたえ続けている。ぞっとするくらいに健気だと思う。

「買い手」のように、「キャラクターとは異なる次元に生きる対象」を想定して作り出されたキャラクターは、その異なる次元に対して、あまりにも無罪で、無力だ。人気のない観光施設のマスコットキャラクターは、もっとひっそりとしてくれたっていい。満面の笑顔で「ようこそ!」なんて出迎えられると、なんだか本当に切なくなるのだ。

 

私は当初、けものフレンズのキャラクターたちに対して、コレに近い感情を抱いていた。プロジェクト創設者の一人であるKADOKAWAの梶井氏が「IP(知的財産権)の創出が当初の目的であった」と明言していた通り、動物的特徴をシンボライズした本作のキャラクターたちは、各々が特定のコンセプトに従いつつも、全体としては"役割"が与えられているといえるだろう。

「けものはいてものけものはいない」の一節に象徴される、ケモノだらけの優しい世界は、裏を返せば、我々視聴者を前提として作り上げられたディストピアである。「ディストピア」というのが特に重要で、すべての人間が消え去ったあとの退廃的な世界観だったからこそ、私は視聴者、消費者、あるいは神としての人間の存在を本作において強く意識せざるを得なかった。

彼女たちはエンターテイメントだ。視聴者が二次創作的に盛り上げていくIPには、ある種特徴的ともいえる「箱」だ。ケモノばかりで成立しているように見える世界は、実際のところ現実世界という異なる次元に生きるニンゲンを楽しませるために作り上げられたものでしかない。そんなニヒルな思考に囚われた私は、作品中における彼女たちの無垢さ・無罪さとの落差も相まって、「こんなに残酷な作品があって良いものなのか」と頭を抱えることになった。まだ多くの視聴者が「たのしー!」「すごーい!」とはしゃぎ回り、IQが下がるアニメだと弄んでいた5話の時点では、少なくともこういう認識である。ここで私は「このアニメを見続けると心が荒んでいく」と判断し、しばらくは視聴をやめることにした。

 

さて、心が遠心分離機にかけられるような思いをしてから1ヶ月と少しが経ち、「けものフレンズ」は11話の放送を終えた。

なにやらTwitterが騒がしいようなので、怖いもの見たさでニコニコに課金し、今までスルーしていたぶんも含めてイッキ見した。結論から言うと、私はこれで本当に救われるような思いがした。

物語は少しずつ佳境に差し掛かっていく。10話でミライさんの映像を観たサーバルちゃんが涙を流した。私も泣いたが、同時に心地よさを覚えた。無力な「箱」として提示され、感情すらもニンゲンに捧げていたはずの彼女は、これまでの不自然なまでの素直さが、うまい棒のパッケージに近い無力さを感じさせていた。ところが10話では、複雑な感情の揺らぎが涙として象徴的に表されていた。あぁ、この子にだって何かを知覚し、心の中で処理しようとして、それでも処理しきれなくなったら涙を流す権利があるんだ、と思った。

11話では、また違った角度から救われた気がした。超大型セルリアンからサーバルを庇い、かばんちゃんは捕食される。視聴者は絶叫する。この構図そのものである。

前述の通り、『けものフレンズ』はニンゲンを意識したディストピアであり、その一方でニンゲンはケモノたちの感情の機微を特に気にかけることもなく「たのしー!」なんてはしゃぎながら消費する傾向が強かった。片務的関係。彼女たちがどうにも報われない感じ。

ところが、次第に物語が展開していくうちに、作品に感情移入することで彼女たちに本気で向き合おうという視聴者が(ようは道端のうまい棒を拾い上げ、「こんなに踏まれて可哀想に」なんて気にかける人が)どんどん増えていった。それが11話の悲劇で、イッキに爆発した。

彼女たちが心配でどうしようもなくなる人や、発狂しかけている人を見るたびに、「ジャパリパークも報われたね」なんて思う。単なる箱でしかなかったケモノたちは、一方的に楽しませる対象だった多くのニンゲンへと確かな影響を与え、ついに作品世界から現実世界へと次元を超越することに成功したといえるのではないだろうか。

私の言語化が稚拙でうまく伝わっていないような気がしてならないが、とにかく、こんなことを考えながら12話を待っている。どんなラストであれ、私のなかでこの作品は救済された。ほんとうに大好きだからこそ、ほんとうに幸せだ。