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とっとこハム太郎に見る「神」と「反逆」

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皆さんは「とっとこハム太郎」というアニメをご存知だろうか。簡単に言うと「ハムスターたちがケージから脱走して集まってきてワイワイするアニメ」だ。

その集まりを彼らは「ハムちゃんず」と自称しているのだが、私は前々からハムちゃんずの組織体制について言いようのない狂気をおぼえていた。それは「主に恋愛を原因としたドロドロの関係図の中に置かれており、なおかつメンバーごとの優遇・冷遇が露骨であるにもかかわらず、洗脳されたとしか思えないほど『なかよし』関係を強調して場を持たせている」ところにある。中学のブラスバンド部かよ。

 

まずは有名な画像で相関を整理してもらおう(拾い画で失礼)。

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この時点で「仲良し」が破綻している。

ハムちゃんずのメインキャラクターが15匹であり、男女比が11:4(4匹のメスのうちちび丸ちゃんは「うきゅー」以外のボキャブラリーを全て失ったため実質3匹)であることを考えると、リボンちゃんやマフラーちゃんのような姫が発生するのも自然といえる。しかし、こんな昼ドラも真っ青な相関のなかで「ぼくらは なかまさ」なんて言うのは些か白々しすぎやしないだろうか。

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リボンちゃんなんてもはや台風である。

 

この関係性を頭に入れてもらったところで、以下に新説を投げかける。

 

 

「へけっ」「くしくし」などと人畜無害そうな振る舞いをしているが、私は彼を「観測者」と位置づけるし、"神"としてこの組織を俯瞰する者であると考える。

根拠を説明しよう。大前提として、ハムちゃんずは「リボンちゃん」「マフラーちゃん」など外見的、あるいは「まいどくん」「ねてるくん」などの特徴的な性質を名に冠した者たちが、それぞれの性質に沿って与えられた役割を閉鎖空間で演じ続ける組織である。関西人らしい性質から「まいどくん」と名付けられたのか? 否。名付け親である人間がハムスターの関西人らしさを感受することは不可能だ。「まいどくん」と名付けられ、「関西人」という役割を与えられたことを受けて、それに沿った行動を自発的に取っている……。彼らのアイデンティティの構築過程がこのような順序であったことは確定的だろう。

そしてこの事実を「地下ハウス」の閉鎖的な性質と統合的に考えると、ハムちゃんずがさながらスタンフォード監獄実験のようなシチュエーションを再現していることに気づく。

スタンフォード監獄実験 - Wikipedia

このような空間では

元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態(特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまい、さらに強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいることで、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう状態)に陥ってしまう。

とされる。このような背景を理解すると、「ぼくらは なかまさ」関係を強調する彼らの心情も分かるようになるはずである。

こうしくんのように愚鈍で全く役に立たないどころかすぐにヒマワリのタネを無くし全体の足を引っ張るにもかかわらず最終的にじゃじゃハムちゃんとの結婚まで取り付けて最終話で放送されるような"神に愛されたハムスター"もいれば、パンダくんのようにハムスター離れした技術力を持っているにもかかわらず19話で「ハムちゃんずランド」を建設した際に「とっとこ活躍!パンダくん」とまるで普段はまったく活躍していないかのような(実際まったく活躍していない)サブタイトルを付けられ、その後サブタイトルに一度も「パンダ」の三文字が輝くことはなかったどころかアイデンティティたる「ハムちゃんずランド」とともに出番が激減していき、ついには245話でめがねくんに「ハムハムランド」と言い間違えられる(つまり脚本家すらハムちゃんずランドを忘れ去っていた)ほどに不遇なハムスターもいる。

このようにハムちゃんず内では個体ごとの力、立場の差が歴然であり、スタンフォード監獄実験の結果に基づくならば「次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう」危険性をはらんでいる。つまり、その暴走に歯止めをかけるため、理性を保ち続けるため、白々しくも「平等な仲間関係」を強調することが集団として不可欠だったのである。

さて、話を戻そう。地下ハウスという名の監獄において、ハム太郎のみが"役割"を与えられていないのにお気づきだろうか。すなわち「看守」でも「囚人」でもなく実験者のような立場であり、 コミュニティ内においてメタ認知能力を持った唯一のハムスターであると考えることができる。人間の社会になぞらえるならば間違いなく"神"的な立場であろう。さもなければ彼がハムちゃんずの絶対的なリーダーであることに誰もが盲信的であることは説明がつかない。彼は全てを俯瞰しており、ハムちゃんずの各々が与えられた"役割"に沿って行動し続けるよう静かに仕向けている。それが彼の支配力に疑問を抱かせないギミックともなっているのだ。

 

 

 

  • タイショーくん ー神への反逆者ー

さて、上記のことを踏まえ、タイショーくんの反逆者たる所以を説明しよう。

そもそも、ハムちゃんずに地下ハウスを貸し出しているのはタイショーくんである。彼はねてるくん以外の他のハムスターとは異なり「野良ハム」であり、人間の保護を受けられないため、命の危険に晒される可能性が圧倒的に高い。そもそもハムスターは寒暖差の激しい日本の気候には適応できず、野生のなかで自然繁殖することは非常に考えづらいため、タイショーくんは過去に捨てられた可能性が高い。カーストとしては間違いなく底辺である。

そんな底辺ハムスターは、1話のハム太郎とこうしくんに出会ったシーンで、「人呼んで タイショー」と自己紹介した。その一方で、彼のキャラソンである「のらハム行進曲」では「おれさまは野良ハムだからな、今までずーっとひとりだったんだ」と語っている。これらの事実から、タイショーという名前すら「人呼んで」と偽りつつも自称に過ぎない可能性が高い。捨てられた自分自身を「タイショー」と自称したときの心情はいかなるものだったのだろう。野良ハムスターであることへのコンプレックス、さらには自分自身へのコンプレックスを抱え、それを包み隠すように「タイショー」などという称号を用いる、そんな出自に自信を持てない人間の歪みを反映したかのようなキャラクターである。

もうひとつ、1話を見ていて気づくべきことがある。タイショーくんのハム太郎たちに対する態度が、その後の彼からは想像もつかないほど柔和で温厚なのである。

youtubeに公式動画がアップロードされているのでそちらを参照されたし。諭すような口調、寛容な態度……。自宅への通路を破壊して不法侵入してきた非常識な飼いハムスターに対して、出自へのコンプレックスを抱えた野良ハムが取るとは考えづらい行動だ。

しかしこれも彼の人心掌握術の一環であると考えれば決して不自然ではない。初対面の飼いハムスターに対し自身が「大将」であると自己紹介することで刷り込みを行い、その後自身の家に案内することで心を開いているかのようにアピールし、最後にリボンちゃんへの恋心を打ち明けることでアドバイスを引き出すのみならず"弱み"を見せつけ信頼させる。2話でタイショーくんの家を改装した「地下ハウス」を拠点に「ハムちゃんず」というコミュニティを作るという展開も彼にとっては全て予定調和であり、事前に人心掌握を行っておくことでカースト的に自分よりも上位である飼いハムスターのコミュニティに入るという"ステータス"を得られるのみならず、その中でも支配的な立場を手に入れられるという算段である。コンプレックスを抱える相手よりも立場的に上になろうとするのは自然な心理であるし、それが彼にとっての人生逆転のための攻勢であったのかもしれない。 あるいは、ハム太郎が"役割"に縛られない絶対的な存在であると最初から察知していた可能性もあるが、いずれにせよ、ハム太郎に気に入られることで自身の立場を確立させようという魂胆が垣間見える。

こうしてハムちゃんずの重鎮となったタイショーくんであるが、それは前述のように心を掌握したことで"神"たるハム太郎に気に入られていたからに過ぎない。あくまで神側における下位の存在、いわば「天使」のような立ち位置に過ぎず、肝心の恋愛面ではハム太郎に完全敗北している。リボンちゃんは飼いハムの中でもカースト上位、いわゆるお嬢様であり、底辺であるタイショーくんのことを平気で利用するような腹黒女である。しかもハム太郎に熱中しており自分には見向きもしない。そのためかしばしばタイショーくんがハム太郎を出し抜いてリボンちゃんに言い寄ろうとするシーンがあるのだが、ことごとく成功しない。当然である。ハム太郎メタ認知能力を伴った神であり、所詮は監獄のなかで強い力を持ったに過ぎないタイショーくんに出し抜ける相手ではないのである。

しかし"天使"でありながら次第に神への反逆姿勢を見せるようになる点は、彼の特質を端的に表している。私はこう主張したい。彼は神に対して積極的に反逆し、堕天使となった者である。

それを裏付ける証拠が、無印最終話である193話にある。

ハム太郎とっとこむ:アニメストーリーしょうかい

タイショーくんの心の中で、悪魔タイショーくんと、天使タイショーくんが、あらそいをはじめた。
「恋のライバル、ハム太郎がいなくなれば、リボンちゃんとラブラブになるチャンス」と、悪魔タイショーくん。
「タイショーくんにとって、ハム太郎はたいせつな友だち」と、天使タイショーくん。
そして、とうとう、悪魔タイショーくんが勝ってしまった。 

 キリスト教の教理では、悪魔は堕天した天使であるとされる。このシーンにおいて彼は神であるハム太郎に反逆し、本来の天使としての性質と、悪魔としての性質の間で揺れた結果、ハム太郎の手によって堕天され悪魔となったのである。これはハム太郎の"神性"を裏付ける更なる根拠であるし、「天使と悪魔の闘い」「悪魔の勝利」は堕天を象徴的に表現していると見るのが自然である。

堕天後の彼は酷いものである。ハムちゃんず内での立場を失ったことを危惧してか193話では「自分探し」という名目で地下ハウスを脱走。195話からはハムちゃんずと接触する際に「ヒーローハム」という別名義を使わざるをえない状況になった。その後すぐハム太郎によって正体が暴かれてしまったが、190話および235話において張られたタイショーくんとおしゃれちゃんの恋の伏線も289話で唐突に「おしゃれちゃんはハム太郎が好き」という設定が付加される(露骨な圧力である)ことで改竄されてしまうなど、やはり明らかに冷遇が加速している。

ヒーローハム時代の201話なんて特に酷いものである。

ハム太郎とっとこむ:アニメストーリーしょうかい

タイショーくんがタネを地面にうめると、見る見るうちにたくさんの芽が出てきて、あっというまに魔法の花がいっぱい咲いた。
しかも、その魔法の花は、タイショーくんが言った言葉をそのままくりかえすではないか。
そうだ!この花を使って、リボンちゃんにヒーローハムのひみつを教えてしまえばいいのだ!と、タイショーくんは思いついた。

タイショーくんは、さっそく魔法の花に言葉を教えこんで、こっそりと、リボンちゃんに魔法の花の言葉を聞かせた。
ところが、リボンちゃんにむかって魔法の花が言ったのは…
「せいぎのヒーローハムは、ハム太郎なのです」
それを聞いて、びっくりするリボンちゃん。
ハム太郎がヒーローハムだったなんて…と、リボンちゃんはすっかりかんげきしてしまった。
どうもようすがおかしいと思ったタイショーくんは、もう一度、やり直してみることにした。

いっぽうリボンちゃんは、ヒーローハムのひみつのことで、なやんでいた。
よく考えると、ヒーローハムとハム太郎がいっしょにいたこともあったのだ。
そこに、ヒーローハムが、魔法の花を持って登場した。
ヒーローハムは魔法の花をリボンちゃんにプレゼントして、さっていった。

そして、魔法の花が、しゃべり出した…。
「タイショーくんは、おたんこぴーなのです」
やっぱり、魔法の花は、大しっぱい。
がっかりするタイショーくん。

神の存在なしに、こんな露骨な情報統制が起こり得るだろうか。神の怒りを買ったことは、これほどまでに罪深いのだ。

 

 

以上より「とっとこハム太郎」の本質は、監獄のなかで"役割"を与えられたハムスターたちが、仲良しごっこにより理性を保ちつつ、最終的に全員が神であるハム太郎に屈服するアニメである。