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えいちゃーろぐ!

不定期で更新していきます

鬱病になったハム太郎bot 三回忌

2年ほど前、Twitter上で「鬱病になったハム太郎botというものが動いていました。

twitter.com

というか、私が手動で動かしていました。もうbotでもなんでもねぇな。

 

自分で言うのもアレですが、当時そこそこ話題になりまして、更新を停止してちょうど2年経つ今日、久しぶりにサーチしてみても、直近数日間で話題に挙げてる人も見かけられて、意外と忘れられてないものなんだなぁと感動しました(作者はほとんど忘れてました)。

 

更新停止してから4日後の2014年8月10日、更新停止の旨と大まかなbotの経緯をツイプロフィールにまとめて、こっそりバイオグラフィ(自己紹介欄のこと)にそのリンクを貼り付けておいたので、気づいた人は読んでくださったのかもしれないですが、

もう三回忌になるんだし、そろそろもっと突っ込んだ裏話やら何やらを語っても時効だろう? 「くぅ〜疲れましたw」の如き作者の自己満足を許してくれ〜! という記事です。書く前からとりとめのない文章になりそうな予感がしますが、どうかご容赦ください。

 

 

 

 

【製作の経緯】

このbotの運営を開始したのは2014年7月1日でしたが、この時の私は高2でした。学校からの帰り道、駅に入る直前くらいに、ふっと突然思いついたのがこのbotだった、といったところでしょうか。動機は、大まかに2つ存在します。

 

まず最初に、鬱病への自己解釈を広く知ってもらいたい、ということです。

鬱病になった〇〇(キャラクター名)bot」というものは多く存在しますが、どれも発言が「死にたい」「自殺したい」といった死の渇望に集約されるといいますか、当時の自分は「どちらかといえばこれ『鬱病』とは違わないか……?」という疑問を抱えていました。

というのも私が高1の頃、母が鬱病を患って半年間ほど休職していた時期があり、母が家にいる間に鬱病に関するさまざまな情報・感覚・思考を教えてもらっていました。実際に鬱病を目の当たりにし、その人間と接することで、病気そのものに対する認識が大きく変わったことも確かでした。

そんなこともあって、実際に自分の見た鬱病と、Twitterで描かれ(やすい)鬱病の間に、ハッキリとした溝を感じたのでした。「自分の見た鬱病」は1ケースに過ぎませんし、知識は医学的根拠に基づいていたとしても、感覚・思考は人それぞれでしょう。必ずしもこれが正しい鬱病の像とは考えられないですし、おそらく「正しい像」なんてレベルにまで単純化できるほど甘い病気ではないでしょう。それでも、もし万が一にも「Twitterのほうの鬱病」が本物であると考えている人がいるのなら、その認識は危ないなぁと思いましたし、なんとかその人が考え、改める機会を自分に作れないかなぁとも思ったのでした。

 

もうひとつは、純粋にコンテンツとして見ても面白くなりそうだな、ということです。

せっかくbotを作るのであれば、みんなが広く設定を共有しているキャラクターを選ぶのが良いでしょう。それでも、アンパンマンやらドラえもんやら、あんまりメジャー過ぎても面白くない。インターネットでは、ほぼ100%に近い共有率を誇るネタよりも、70%程度の人に共有されるネタの方が、70%の人が積極的に取り上げ、結果的には広く行き渡るイメージがありました。

……そんな意味でハム太郎は適役だったのではないでしょうか。程よい知名度と懐かしさが両立しており、鬱病という設定とのギャップも充分。私自身それなりにハム太郎にハマっていた時期もありましたし、設定も把握できているつもりだったので、思いついた瞬間「これしかないな!」と半ば興奮しながらアカウントを作成したおぼえがあります。

 

 

【運用開始】

このbotは実際のところ7月1日〜8月6日までの1か月ほどで86ツイートをしたに過ぎないのですが、最初は長期的に運用することを考えていましたし、「長く親しまれる、知る人ぞ知るbot」くらいの地位になれれば理想だなーなんて思っていました。当初は、しばらく手動でツイートした後、特に反響の大きかったものをbotに登録して、あとは手を触れずに放置する予定でした。そんなわけで6つか7つほどネタを思いついた時点で、「あとは流れで思いつくはず」くらいの感覚で特に深いことも考えずに動かし始めたわけですが、なかなかフォロワーは増えません。さて、どうしたものか……となり、やや禁じ手ではあるのですが、自分の本アカウント(@EICEAR)からRTを行うことにしました。これがキッカケで、初日にフォロワーが1000人ほどまで増えました。

 初日では特にこれが拡散された印象でした。想像以上に順調な滑り出しだなーなんて素直に喜んでいた気がします。

 

そんな中、2日目だったでしょうか。「感情を失ったリボンちゃん」からのフォローを受けます。このアカウントの説明をば。

twitter.com

彼女(?)のユーザーページをよく見れば分かるかと思いますが、Twitter開始は2014年の4月です。ハム太郎よりも3か月ほど早いんですね。彼女に限らず、「ちび丸ちゃん」と「トラハムくん」も含めた3アカウントについては(後々「闇ハムちゃんず」などといった括り方をされたのを受けてそれぞれ「鬱病に絡まれるちび丸ちゃん」「テニサーのトラハムくん」といった具合に名前を変更したのですが)、元々は私とは何も関係のない、しかも私よりも早くハム太郎なりきりを行っていたアカウントでした。

私の後にも多くのハムちゃんずが誕生し、一部では「鬱病になったハム太郎の二番煎じ」なんて言われ方をされていましたが、とにかく強調したいこととして、この3アカウントに関しては私よりも早いですむしろ私の方が二番煎じです。

後々これらの中の人たちとも話をしたのですが、ハムちゃんず関連の話題にのぼる度、もしくは自分の想定とは違う期待やプレッシャーをかけられる度に、深く悩んでいるようでした。自分がこんなbotを作らなかったら、リボンちゃん達は巻き込まれることもなく、平和にTwitterを続けられていたのかもしれない……と思うと、今でも少し申し訳ない気持ちになります。

 

そんなこんなで、これら3アカウントと繋がり、さらに「無職になったタイショーくん」(のちに就職し「社畜になったタイショーくん」に改名)や「こうしくん」(中の人は知りません。鬱ハムよりもかなり昔からあった、個人的に好きなアカウントでした)と繋がることで、いっそう「闇ハムちゃんず」といったキャラクター付けが明確になりました。それも当初は計算のうちで、相乗効果によってフォロワーも増えていくだろうと考えていたのですが、これが自分の想定を遥かに超える事態を招いていくことになります。

 

 

【コンテンツ化の失敗】

もう完全に愚痴を言っているだけの項目です。醜いので飛ばしてくださっても構いません。

いま思えば、他のハムスターたちをフォローして「ハムちゃんずのコミュニティを形成しよう」とした時点で失敗を犯していたような気がします。それは上記のような、「先人たちに迷惑をかけた」というのもあるのですが、どちらかといえば、自分よりも後に登場したハムちゃんず達、そして業者による偽アカウントの大量作成のことです。

 

まず「自分よりも後に登場したハムちゃんず」について。ハムちゃんずの主要メンバーは15匹います。主要メンバー以外を含めると、100匹近くになるのではないでしょうか。つまり、「闇」設定を加える対象たるキャラクターは、いくらでもいるわけです。鬱病になったハム太郎botのフォロワーが3万、4万と増えていくにつれ、所謂「闇ハムちゃんず」と総称されたアカウントたちも数え切れないくらいにまで増えていきました。アカウント名はどれも「◯◯な××くん」といった具合です。そして、それらのアカウントは概して、「中の人」がそのまま見えてしまうというか、全く「なりきり」する気がないんじゃないのこれー……? って思ってしまうようなものが多かったです。「1ふぁぼごとに中の人の◯◯を晒す」みたいなタグを使ってみたり、挙げ句の果てに自撮りやリスカ痕を載せてみたり。……およそ、ハムスターの名を借りてフォロワー数を一定値まで増やし、そこで「自分」を見てもらうことが目的だったのだと思います。承認欲求がそのまま出てしまったパターンですね。その「承認欲求」なるものは私自身も正直かなりありますし、そうでもなければTwitterなんか続けていないわけですが、それでもその欲求の「捌け方」ってもうちょっと何かあるんじゃないかなーと思わざるを得ませんでした。

 

そして「業者」に関してなのですが、これについては本当に冗談抜きで死んでほしいというか、他人の文章をパクる等の不当な手段で金儲けする奴はTwitterに限らずインターネット全体の害悪だと思っているので、見つけるたびにすごくイライラしていた覚えがあります。「鬱になったハム太郎」「ハム太郎鬱になっちゃった」といった具合に名前を少しだけ改変したり、バイオグラフィも「あのハム太郎鬱病になっちゃった! そんなヤバすぎるハム太郎の日常を……」みたいな感じで、センス皆無なりに謎のオリジナリティを出してきているわけですが、ツイート内容は全文コピー&ペーストで構成されていて、しかも怪しげな広告を定期的に流すという、もう露骨な業者です。こちらも「とっとこハム太郎」という原作ありきの二次創作なので、このbotについて著作権を主張するだとか、そんなことはとてもできないのですが、それでも「最近めっちゃ面白いアカウント見つけた! 『ハム太郎鬱になっちゃった』ってやつw でも広告うざいんだよね〜」みたいなツイートを見かけるたびに「う〜ん……」と頭を抱えてうずくまることしかできませんでした。完全オリジナルじゃないと大々的に怒れないからつらいね。

 

 

【結末に向けて】

こういった二番煎じと偽物の大量発生のなかで、鬱病経験者の母にもbotの存在を打ち明け、細かいアドバイスを仰ぎながら、ない脳を働かせて次なるネタを考えていたのですが、7月の中旬ごろから、そろそろネタ切れだなぁという感覚がするようになっていました。初期には万単位でRTされたツイートがいくつもあったことを考えると、今後これを超えるモノを考え出せる気もしない。何より「闇ハムちゃんず」という括りで考えられているせいか、「全アカウント中の人が同じ」説など、(個人的に)好ましくないことが憶測で語られるようになっていましたし、きっと「中の人の存在するアカウント」というよりも「botというコンテンツ」として見られているような感触がしたので、おそらく長々と続けていてもオワコン扱いされるのが目に見えていました。

ふとツイート数に目を向けると、40と少し。せっかくならハム太郎の86(ハム)にちなんで86ツイートまで頑張ってみようと思ったわけですが、ここで「そういえばハム太郎の誕生日って8月6日だし、あと半月くらいか。1日2ツイートくらいのペースで動かしていけば、ちょうど8月6日に86ツイートに至るな」と気づき、ククク……せっかく停止するなら意味深な結末にしてやろう……と悪戯心がくすぐられ、この結末に向けて日々ツイートを絞り出す「作業」が始まりました。

7月の第2週のフォロワー増加数ランキングが日本2位(フォロー&RTキャンペーンを行っていたセブンイレブン・ジャパンや前田敦子大島優子より上)(ちなみに1位は木崎ゆりあでした)だったり、有名人からフォローをいただいたり、そんなエピソードをちょっとした自慢とモチベに変換しながらツイートを続ける、そんな感じだったような気がします。

ちょうど高2の夏休みは、秋に控えたバンドのコンサート用の曲を採譜したり、あるいは数名の友人と企画していたとあるイベント用に何曲か作ったり、主に音楽方面で忙しかったので、やっと暇になったのが夜の11時……なんてことも多く、そこから日付が変わるまでにツイートをふたつ考えるという憂鬱な作業となりました。実際にbotを遡ってみると、日付変更の前後くらいのタイミングでツイートしているものが多いのが見て取れると思います。

こうして、なんとか凌ぎに凌いで、8月6日を迎えることになりました。

 

 

【結末と蛇足】

自分のなかで、鬱病になったハム太郎botの結末は「鬱の寛解」でした。7月の後半ごろから、「鬱を抱えながらも少し前向きに物事を考えようとする」「自分の心の営みを内省によって理解しようとする」、そんなプラス思考な発言が少しずつ増えていったのに気づいた人もいたかもしれません。

そこで、最後の86ツイートめに選んだ文言は「生まれてきてよかったのだ」としました。自分の生の肯定であり、自分の存在の肯定。そんなハッピーエンドを端的に示す文言を考えた結果の12文字です。

せっかくなら時間にもこだわろうと思い、午後8時6分にツイートすることにしました。しかしこの日の8時6分の私は、ピアノのレッスンの真っ最中でして、まさか「ツイートしたいんで」と言ってピアノ上の指を止めてスマホ上で動かし始める、なんて失礼なことはできません。そこで、最後のひとことは、家にいる母に送信を頼むことにしました。このbotを作るキッカケのひとつであり、いろいろとアドバイスも乞うた母。大役を引き受けてくれてありがたいですね。

(余談なのですが、「8時6分にツイートボタンを押すだけでいい」と文面を入力した状態で母にスマホを渡したのち、母が間違えてその文面を消してしまい、慌ててもう一度入力し直したそうなので、もし12文字という短いツイートでなかったとしたら、私のやりたかったことが実現せずに終わっていたかもしれないです)

 

こうして鬱病になったハム太郎botは、最高58500フォロワー、平均RT3000というなかなか狂った数値を残して終了しました。バイオグラフィも「楽しくなる明日なんか存在しないのだ」から「明日はきっと       」に変更しました。「きっと」の後に続く7文字の空白は、自分としては「楽しくなるのだ」という、原作通りのハム太郎のセリフを当てはめるつもりでしたが、それも露骨に示してしまうとつまらないので、7文字ぶんの自由解釈スペースとして設置しました。2年経っても空白に触れた人は1人もいなかったので、たぶん私のやり方がわかりづら過ぎましたね……。

空白もそうですが、「誰か気づくかな〜」と半分遊びで考えた"ウラ設定"みたいなものって、どうしても作者の独りよがりになるのか、意外とみなさん気づかない場合が多いんです。停止してから4日経っても、「鬱ハムの呟きがない」「死んだのかな」といった声は聞こえても、誰も86の秘密には気づいておらず、憶測による議論が飛び交っていました。あれこれ悩んだ結果、こっそりツイプロフィールに大まかな解説を載せる、という方策を取りました。86の秘密はここにも書かれていますが、「寛解」というエンドをこちらから提示するのはあまりにも無粋に感じたため、最後のツイートが何を意味するのかは示さないままにしました。おかげで「鬱ハムは誕生日に自殺した」という説の方がメジャーになってしまいましたけど(笑)。

ツイプロフィールについては「自分語り乙」といった声もありましたが、正直その通りなので何も言えませんね。今から考えれば、もう少し待つべきだったのかなぁとも思うし、あれは蛇足だったとも思います。2015年に入ったあたりでバイオグラフィからプロフィールへのURLをこっそり削除したのも、そういった考えの変化によるものです。

 

 

なんだか、記事を書いている間に8月7日になっていました。三回忌終わっちゃった……。

えっと、昨日はハム太郎の誕生日を祝ってケーキを食べに行っていました。もちろん昨年の8月6日も祝いましたし、母も一緒です。「『露骨にポジティブな発言』は得られるものがない」といった意見を見たことがありますし、私自身もあまり好きではないのですが、こう美味しいものを食べて、楽しい話をしていると、何やら体の底から湧き上がってくる高揚感が心地いいです。こんなヘンテコな思い出話に、チョコレートケーキを添えて。生まれてきてよかったのだ。

「ぽきたw 魔剤ンゴ!?」を文法的に考察する

【原文】

ぽきたw 魔剤ンゴ!? ありえん良さみが深いw
二郎からのセイクで優勝せえへん? そり!そりすぎてソリになったw
や、漏れのモタクと化したことのNASA✋ 
そりでわ、無限に練りをしまつ
ぽやしみ〜

 

この状態では、解読するのは難しい。そこで、"オタク的仮名遣い"を"現代仮名遣い"に修正し、「ンゴ」等の意味を持たない文字列を消して考える。

 

 

起きたw 魔剤!? ありえない良さみが深いw
二郎からのセイクで優勝しない? それ!それすぎてソリになったw
いや、おれのオタクと化したことの無さ✋
それでは、無限に練りをします
おやすみ〜

さらに、用語を現代語へと訳していく。

起きたw 本当!? ありえないほど良さの程度が甚だしいw
ラーメン二郎を食べてからの酒で幸せな気分にならない? それ! それすぎてソリになったw
いや、おれのオタクと化したことの無さ✋
それでは、無限に寝ます
おやすみ〜

 

文末が形容詞で結ばれる場合は形容詞で訳し、体言止めをそのまま残すなど、原文の雰囲気を殺さないように訳したつもりである。また、「それ」などの、複数の現代語にまたがるニュアンスを持った用語は、あえて翻訳しなかった。「ハッキリとそれに対応する日本語」が存在しない英単語があるように、ハッキリと日本語に対応しない日本語も存在するのである。

 

 

それでは、一文ずつ文法を考察していく。

 

 

 「ぽきたw」

「起きた」の頭にpの発音が付いた形。定説では、「パ行」は一時的に日本語から抹消されたのち、ポルトガルが東アジアに進出した16世紀以降、外来語の発音を再現するために再び用いられるようになり、江戸時代に定着したものとされる。すなわち、擬態語などを除けば、日本古来の言葉に「パ行」が使われることは、まず無いという。以上より、「ぽきた」は外来語を意識した活用である、と考えるのが妥当であろう。アルファベットの"w"が使用されている点もまた、外来語の影響を強く受けていると言えよう。

 

 

「魔剤ンゴ!?」

「本当!?」の変化形。「ンゴ」は接尾辞のようなものであり、それ自体に意味を持たないうえ、何らかの言葉を呼び出す働きもない。

「魔剤」が「マジ」から転じた言葉であるのは言うまでもないが、その「マジ」の起源は江戸時代後期。「真面目」から「マジ」へと変化したのだという。先ほどの「ぽきた」のパ行も江戸時代に定着したものであることを踏まえると、「ぽきたw 魔剤ンゴ!?」は、"外来の言葉"と"日本独自の言葉"を織り交ぜた、江戸情緒あふれる一文である。

 

 

「ありえん良さみが深いw」

「ありえん」は「ありえぬ」の変化。これは「ありえん(形容詞)→良さみ(名詞) が(格助詞) 深い(形容詞)」という、形容詞のかかった主語をさらに別の形容詞で説明する構文となっている。「ありえん」は「良さみ」、すなわち「良さの程度」を強調しているのだから、「ありえないほど良い」と捉えるのが妥当である。「深い」もまた、良さの「程度の甚だしさ」を表していると考えられる。

ここで問題となるのが、「良さみ」という主語である。「良さ」は、それ自体で完結した名詞である。それに「み」が付くとはどういうことか?

「さ」は、全ての形容詞・形容動詞の語幹、及び一部の程度性名詞、並びに一部の程度性副詞の語幹に付くことができ、外的な属性又は程度を表す。

「み」は、限られた形容詞とわずかな形容動詞に付き、そのものの内的な属性又はその場所・位置を表す。

簡単に言えば、「さ」は外的・客観的な、「み」は内的・主観的な要素を表すということである。

すなわち、こういうことだ。「良さ」のみでは、客観的事実を述べたに過ぎない。ここであえて文法を無視して「み」を付け加えることで、主観的な「良さ」のニュアンスをも得る。「良さみ」とは、「客観的に考えても『良い』ものであり、それは自分の主観においても『良い』。絶対的に『良い』ものである」という、説得力のみならず強い感情の潮流を感じさせる表現なのである。

 

 

 二郎からのセイクで優勝せえへん?

「二郎」。これは言わずと知れた、ラーメン二郎を指す。

「セイク」は酒を指す。酒のローマ字表記である"Sake"を英語として発音したものと考えられるが、Sakeは「〜のための」という不可算名詞としての意味を持つ英単語である。Weblioによるとこれは「高校2年以上の水準」の単語であり、セイクを飲む年齢の人たちにとっては、おそらく当たり前のように知っている単語であろう。つまり、「各々がSakeという単語の本来の意味を知りつつも、あえて『酒』の隠語として用いる」という、ある種のエスプリを感じさせる言葉遊びである。

「優勝」という言葉は、非常に解釈が難しい。が、後述の「そり」の現代語訳である「それ」に比べれば、用法も限定的であり、翻訳可能な域である。

もちろん「優勝」したからといって、何らかの大会があったわけではなく、強いて言えば、それは精神的な満足感、優越感、多幸感……こういった類のものなのである。

 

 

「そり! そりすぎてソリになったw」

今回の考察において最大の不条理さを誇る一文である。

まずは、「そり」の変化前の形態と思われる、「それ」という語の定義から考える。本来は中称(少し離れた場所にあること)の指示代名詞である「それ」。しかし近年では、もはや「それ」自体に"同意"の意味が含まれるようになった。英語では"I agree"といったところか。

次に、「それ」→「そり」という変化について考える。調査していくと、江戸時代から主に九州地方で用いられている「そりばってん」という方言に行き着く。これは「そうだけれども」という意味を持ち、「けれども」に該当する語が「ばってん」であることから考えるに、「そり」が「そうだ」に該当し、今回の文章に近い意味を持つ。

しかし、ここでもう一つ、古典文法的に解釈した自説を提唱したい。

「それ」という言葉は、はじめ文中に存在していた係助詞「こそ」による"係結び"で、終止形の動詞「そり」が已然形「それ」へと変化したため生まれた、というものだ。つまり、「そり」はラ行変格活用の動詞であり、元々終止形として用いられていたその動詞を、我々が慣習的に「こそ」とセットで扱ううちに、已然形「それ」として用いるようになったという説である。

その後「こそ」が消失し、「それ」単体で代名詞的な意味を獲得するようになったものの、2016年、古典文化の復興を願うオタクたちによって、再び「そり」という動詞原型で用いられるようになった……という話。

このように解釈することで、次の「そりすぎて」も説明がつく。

「すぎる」は、「接尾語的な用法もある動詞」であり(新明解より)、動詞の連用形の後に付いて、複合動詞を形成する。「そり」をラ行変格活用の動詞と仮定すれば、「すぎる」に接続するための連用形も、終止形と同じく「そり」であり、「そりすぎて」が文法的に正しくなるのである。

「ソリになった」はそのまま、ソリになったのであろう。ここに文法的な疑問点は存在しない。

 

 

 

「や、漏れのモタクと化したことのNASA✋」

「漏れ」「NASA」の二語に関しては、それぞれ「俺」「無さ」の、よく知られた別表記である。

「や」は、「いや」のiが発音されないもの。

似た事例を調べていくと、kの例(knowなど)や、hの例(honestなど)はすぐに見つかるが、iが発音されない例は見当たらない。逆に「漏れ」「モタク」などに関して、mが付随される発音例も見当たらない。

そこで、発音的な解釈ではなく、文法的な解釈へと昇華させてみる。何かしら特殊な形の文章を表記する際、「文頭が母音の場合はそれが省略され、文中のoが全てmoへと変化する」という"オタク文法"が存在するのかもしれない。この文章の特殊性は何処にあるか? というと、「NASA(無さ)」で文を締めくくるという「体言止め」である。体言止めをする際、オタクはこのような文法に従うのであろう。

 

 

「そりでわ、無限に練りをしまつ」

「そりでわ」は、「それでは」に前述の「そり」が適用され、さらに「は」を「わ」に変えたものである。「そり」は既に解説したので、「わ」について考えてみる。

古代では、「川」を「かは」と表記し「kaha」と発音しており、「は」を「wa」と読めるようになったのは10~11世紀以降である。その後このような"表記と発音とが一致しない時代"が長く続き、昭和21年になって、政府が「『は』は、副助詞として用いられる時のみ『wa』と発音され、それ以外では『ha』である」と定めた。

ここで前述の事項を思い出そう。オタクは古典文化の復興を願っている……と。

「そりでは」と書いて「soridewa」と読むのは、10世紀以前の「表記と発音とが一致する日本語」とはかけ離れたものであり、古典文化を至上とする彼らにとっては、あまりにも「今風」である。世間的には「でわ」が誤用とされるが、世間が間違っているだけである。自らの正しさを示すため、あえて誤用のように思える表記法を採用しているのだ。

「無限に練りをしまつ」について。この文章は一般的に「無限に寝ます」の意味で捉えられているが、「ねり」には様々な意味がある。「ねりをする」で「大便をする」の隠語となるし、「練」を「ねりす」と読むことで「賭博をする」の意味にもなる。これらは全て"隠語"であるため、「寝る」の意味で用いられる「練りをする」もまた、近いベクトルの新しい隠語であると考えるのが自然であろう。

「します」が「しまつ」に変化したのは、ローマ字的に解釈すれば「su」が「tsu」に変わったのであるが、やはりこれも発音的解釈よりも文法的な解釈を加えたほうが分かりやすい。この一文は、唯一の「丁寧語文」である。オタク文法では敬語を使用する際、文末の文字がア行またはサ行であれば、tを付けるルールがあると考えられる。文法とは、長い年月の中で、その言語の用いられる界隈で合理化・最適化されたものである。それは「である」の論理に立っており、深い意味は存在しないのだ。

 

 

 「ぽやしみ〜」

「ぽ」は、「ぽきた」と同様、外来語を由来とする発音である。

「す」が「し」に変化しているのは何故であるか。これも文法事項、と言ってしまえばそれまでであるが、この一文に大した特殊性はなく、文法の一言で片付けてしまうのはナンセンスだろう。

ここで私は、ある事実に気がつく。Twitterを観察していると、「おやすみ〜」の意味で「ぽや〜」とだけ言う人も一定数いるのである。

こう考えてはどうだろうか。「眠い」「もう寝たい」といったニュアンスを持つ形容詞「ぽやし」に、前述の内的・主観的な「み」を付けたのが「ぽやしみ」である……と。

形容詞で「〜〜し」という活用をするのは、現代では見当たらない。現代の形容詞は「語幹+かろ・かっ・く・う・い・い・けれ」であり、「語幹+く・く・・き・けれ」は古語的な用法である。しかしこれは、「オタクが古典文化の復興を願っている」という仮説を、さらに強固なものにする証拠となるのではないか。

何らかの感情が現れた時、我々は形容詞を語幹のみで使う傾向がある。重いものを持った時は「重!」と言うし、痛い時は「痛!」と言う。眠くて眠くて、もうどうにもならない時は、「ぽや!」とでも言うのだろう。眠気が内的・主観的なものであることを考えると、最後に「み」を付けるのも妥当である。

 

 

以上より、「ぽきたw 魔剤ンゴ!?」に始まるこの文字列は、古典的要素をベースとしつつ、江戸や明治などの近現代の言葉、さらには外来語の発音すらも取り入れた、構文ごとに複雑な文法を持つ美しい言語体系を表しているのである。

これまでにボツになったゲーム案たち

わりと下品な部分の多い記事です。あらかじめご注意ください。

 

 

そういえば、高校時代の友人らと、こんな約束をしていました。

 

「大学受験が終わったら、みんなで一緒にゲーム作ろうな!」

 

私を代表者とする9人の製作陣が、何らかのフリーゲームを制作し、公開する。そんな

学生らしい約束です。

はい。約束を灰色で表記した時点で、もう察しはついているかと思います。大学受験が終わったのは9人中3人でした。

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「ゲーム構想を語り合うのに熱中しすぎた」というのも、遠因かもしれません。ドリンクバーだけでサイゼリヤに9時間居座り続けて、どんなゲームを作ろうだとか何だとか延々と語り合ったり、それが解散したと思ったら今度はLINEで延長戦に突入したり。

ということで、現在は現役生3人で計画を始動させています。来年になったら残りの6人が合流してくれることを祈るのみ、という感じです……。

さて、そんなゲーム構想の段階で、様々な案が提出されました。基本的に「なんか考えついたら投げろ。吟味は後」というスタンスだったためか、おそらく両手どころか両足と歯を足しても数え切れない量になっていると思います。

そんな中から、個人的に特に印象に残ったボツ案を紹介してみよう! というのが今回の記事になります。

 

 

 

  • ニューゲームすると『あなたの名前を入力してください』と言われ、言われた通り入力するとゲームが始まるものの、出てきた主人公は全然違う名前で、最初に登場する雑魚モンスターの名前がさっき入力した自分の名前になっているゲーム

主人公の名前を本名で登録するタイプの人が全員ディスプレイの前で呆然とする仕様。君は自分を殴れるか。自分を超えていけるのか。何十、何百もの"君"が、なんかよく分からない名前の主人公にゴミのように殺されていく凄惨な光景に、君は目を覆う。

このゲーム案をなんとなくツイートしたところ、2万以上リツイートされ、「もうここまで知られたらマジで導入するしかなくない!?」みたいな状態に追い込まれかけましたが、さすがにドクターストップをかけました……。ごめんね……。

 

 

  • エロシーンになるたび画面に図形が表示され、そこに如何にしてエロスを見出せるかという哲学的エロゲ

ノベルゲームを作ってみたい! でも萌え絵の描けるイラストレーターがいない! という状況から生まれた苦肉の策でした。

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象徴的に表されるR18シーン。この画面に「あっ、んっ……あっ、ああっ……くっ、んっ……あ、あぁん……ひぁあっっ!」などの喘ぎ声が表示されるわけです。狂気。

 

 

  • 「露出度の高い服」「やたら長い髪」など、ゲーム世界にありがちな「戦闘では明らかに合理的でない要素」を全て取り除いた結果、丸刈りの坊主しか登場しないゲーム

ゲーム世界のキャラって、やたらと露出度の高い服を着ている場合が多い気がします。もはや服というより布じゃない?? 絶対「ただのぬのきれ」装備だよね??と聞きたくなるような場合すら。

"そういう層"を対象としたゲームに限るのかもしれないですけど、特に女性キャラは、もう露出が前提になっているような気さえします。

もちろん、男性キャラでもちょくちょく露出はありますね。

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たとえば戦国BASARA真田幸村さん。ビジュアルとしてはめちゃめちゃカッコいいですけど、どう見ても正面から腹部を刺されたら即死じゃないですかこれ……。

しかも髪が長い。戦いにおいて、髪が長くていいことって何もなくないですか?

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合理的に考えたら、断髪するべきです。

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こうして武双山は坊主になりました。

坊主は、良い。視界を遮るものがない。戦いの全てを可視化できる。現に、坊主となった武双山は、藤島審判副部長として、相撲という"戦い"を見つめているわけです。もうこれは坊主最強説を認めざるを得ない。

では衣服の問題はどうだろう? 軽装と重装、双方に利点があります。重装は鎧を着込めばよし。軽装は、究極的には全裸です。全裸以上に動きやすい格好はないでしょう。

以上より、「フルアーマー坊主および全裸坊主が合理的に世界を救っていく物語」が結論づけられました。誰がやるんだよ。

 

 

あれ、そんな感じのゲーム既になかったっけ? と思った方は、けっこう物知りだと思います。

http://www011.upp.so-net.ne.jp/hiroiro/enzai.swf

随分と昔、こんなFlashゲームが流行りました。

しかし我々の作る痴漢シミュレーションゲームは、ひと味違います。さまざまな「特性」を持つキャラクター達を車内に配置し、実際に冤罪から逃げ切るまでをシミュレーションするゲームです。

まずはメニュー画面から、車内に人を配置します。ストラテジーゲームです。

【女】痴漢されたと勘違いし、標的を捕まえようとする女性。冤罪の標的となる男性は、女性の周囲に配置された人からランダムで選ばれる。

【正義漢】自身の正義感から標的を捕まえることに協力してくる男性エネミー。車内に3人を配置しなければならない。

【ヤンキー】やたら足を前に突き出して座っているため、前を通った者は転ぶ。

【ホモ】女性の周囲に配置した際、「俺はホモだ!」と言い冤罪を免れることができる。

……他にも色々と役職を考えた気がしますけど、だいたい忘れました。ようは各役職を車内にうまく配置することで、冤罪の餌食となってしまった人を逃がしてあげよう! というものでした。学校からの帰りの電車内で考えたのですが、誰も作ろうとせずボツに。

 

 

  • RPGツクール買ってとりあえずラスボスイベントだけ作ったものの、そこで飽きて投げた人々」によって捨て去られたそのラスボスたちが、愚かなるツクラーに復讐するゲーム

読んで字の如くです。「RPGツクール」とか、「Wolf RPG Editor」とか、プログラミングのできない人でもゲーム開発できるツールがあるわけですが、これらをインストールした際に多くの人がやること。

「とりあえず、ラスボスイベント作ろう」

こうして、デフォルトで入ってる素材から、宇宙とかそういう系のカッコイイ背景画像を設定して、1番仰々しいグラフィックのモンスターにそれっぽい名前をつけて、それっぽい主人公パーティを最初からレベル60くらいで設定して、"ラストダンジョンの最深部"から開始するゲームを作るわけです。いやあ、実話は説得力が違いますね……。

こうして完成したラストバトルのみのゲームは、何回かラスボスを倒すと飽きます。時間にして30分くらいで飽きます。そして、「このラスボスに"物語"を与えてやる気力なんか……ないよ……」「でも、せっかく作ったイベントを捨てるのも……勿体ない……」というジレンマに頭を抱えるようになり、最後はゲーム開発そのものを放棄してしまうわけです。書いててすごく悲しくなってきたよ……。

というわけで、そんな「"物語"も与えられぬまま、主人公たちに何度も倒され、挙句に忘れ去られていった」というあんまりな扱いのラスボスたちが、その無責任なツクラーに復讐くらいしたってええやないか! と自戒も込めて考えたゲームでした。ゲーム中の敵は雑魚も中ボスもラスボスも、全てラスボスです。なんだこの一文……意味わかんねえ……。

 

  • カトリック」というモンスターと「プロテスタント」というモンスターが同時に出現し、プレイヤーそっちのけで互いに殴り合い続けて自滅するゲーム

これは私が中1の時にRPGツクールで開発していたクソゲーに実際に導入された仕様でした。たぶん宗教対立の話を何かの本で読んだか、学校の授業で聞いたかで、なんちゃらの一つ覚えな知識をアウトプットしてやりたかったのでしょう。それにしても、我ながら中1とは思えないブラックな風刺だな……。

最終的にこのゲームは完成せず、はじめての挫折となりました。(これまでに計10数回は挫折しています……)。

 

 

こちらはもうゲーム開発というより、パーティーゲームで導入したローカルルールです。

人狼というゲームがありますね。夜のターンに狼がこっそりと村人を食べ、昼のターンに「占い師」「霊媒師」などの特殊能力を助けにしながら、狼が誰なのかをみんなで推理していくというゲーム。

これを部活の合宿中にみんなでプレイした時、人数調整の都合から「少女」という役職が導入されました。ローカルルールによってまちまちのようですが、合宿では「夜中にこっそりと覗き見ができるが、人狼に見つかったらその時点で死亡する」という特殊能力でした。

ところがどっこい。「少女」がいるなら、「ロリコン」も導入するべきじゃないか? というクソみたいな意見があがりました。私があげました。

そうして考え出された新役職「ロリコン」。

特殊能力:2日目の夜に誰かを選んでレイプし、それが少女なら単独勝利。ただしそれが少女以外だったらエイズにかかって翌朝死ぬ。

もはや人狼にとっても村人にとっても早急に始末したい役職です。怖い。第三勢力として怖すぎる。

そもそも「少女なら単独勝利」の「勝利」って、もう精神的な勝利以外の何物でもないですね。というか少女以外全員エイズの村は早く滅んだほうがいい……。

なお、このルールを導入して行った人狼3回のうち、2回はロリコンの単独勝利となりました。ゲームマスターが「ロリコンの勝利です」と高らかに宣告する地獄絵図が現出されました。

 

 

こちらもローカルルール系。ウィンクキラーというゲームがあります。人狼と並んで有名なパーティーゲームだと思います。みんなで円形に座って、「犯人」役の人は他の村人に気づかれないように、目が合った人にこっそりとウィンクして、1人ずつ殺していくというものです。

しかしこのゲームをやろうとすると、必ず出てくる「ウィンクできない奴」。

彼ら抜きで遊ぶのも申し訳ない。しかしウィンクのように明確なサインじゃないと、まばたき等では勘違いによる誤殺事故が起きかねない……。

そこで導入されたのが、アヘ顔殺人です。

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pixiv先生によるアヘ顔のイラストつき解説。非常にわかりやすい。

犯人は村人にアヘ顔を見せつけていく。目が合った人がアヘ顔を見せた場合、村人は死ななければならない。彼が見た死の淵の走馬灯は、クラスメイトのアヘ顔によって中断されるのだろう。なんて浮かばれないんだ……。

(いちおうことわっておきますが、私が中高時代に通っていたのは男子校です。JCやJKのアヘ顔鑑賞会とか、そういうオイシイ要素は全くありませんでした。ちくしょう)

 

 

 

 

 以上です。みんなも最低なゲームを考えていこうな!!

収穫祭

家庭菜園同好会、完結編です。

今までの2回にも増して、画像メインの回となります。

 

 

スーパーで買ってきた収穫した野菜たちを美味しく食べちゃおう! というこの収穫祭。

毎度おなじみ、工芸教員にして学校理事であるH氏の協力で、パーティー会場として工芸室を借りることができました。

 

 

 

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近所に住む友人宅からホットプレートや調理器具などを調達。もちろん学校の電力で動かします。ありがとう、学校維持費。

 

なにやらテーブルには明らかにインクの跡があります。工芸室だもの。

さらにこの日の工芸は、電気ノコギリで木片を切り取っている人がいっぱいいました。紙粘土を壁に投げつけて反発係数の概算値を測定している人もいました。工芸と物理を同時に学習する受験生の鑑。

ということで衛生面は非常に怪しかったですが、私たち若いから大丈夫だよきっと!!

 

 

 

 

 

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レシートを見ればわかる通り、たこ焼きも作ります。

どう見てもたこ焼きの材料ですね。4つともたこ焼きの必須アイテムですね。

 

 

 

 

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焼いていきます。

 

 

 

 

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驚くことなかれ。チョコレート入りのたこ焼きって、外はサクサクで中はトローリとしていて、意外に美味しいんです。

(なおここまで菜園要素ゼロ)

 

 

 

 

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自分たちが何の団体だったかを思い出し、カボチャ投入。綺麗な黄色に育ちましたね。市販品にも見劣りしません。

 

 

 

 

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続いてエリンギとニンニクを投入。もはや育てようとすらしたことがないですが、「ちゃんと菌を撒いた」という設定で通しました。

 

 

 

 

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うん、焦げた。エリンギに比べてニンニクは焦げやすかったのですね。

ホットプレートという名の小宇宙に生成されたダークマター……。

 

 

 

 

 

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焼きそば投入。

このタイミングで、そばを取り分けるための菜箸がないことに気づきましたが、心配ご無用、ここは工芸室。同じ部屋で工芸の授業が行われているので、とある友人が木材を電ノコで棒状にカットして、即席で菜箸を制作してくれました。こちらからも感謝の印として焼きそばを食す権利を贈呈。win-winってやつですね。

 

 

 

 

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乾杯!!

(なお、収穫祭に参加した家庭菜園同好会のメンバーのうち2人は、この1週間後に防衛医大の入試を控えていました。勉強しろ。

 

 

 

 

工芸教員 H氏「この野菜たち本当に収穫したんだよね?」

同好会「しましたよ!!(してない)」

H氏「エリンギもちゃんと育てたのか……」

同好会「まあHさんも焼きそば食べてくださいよ(都合が悪いので黙らせる)」

H氏「じゃあいただこうかな……」

 

 

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H氏「うん、美味しいよ!」

同好会「これが我々の工芸作品です」

H氏「うんうん」

同好会「100点くれますか?」

H氏「あげる」

同好会「マジか」

 

 

 

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同好会「マジか」

 

 

 

 

 

 

 

さて、ラストはパンケーキ作りです。

でもこれも、ただ焼くんじゃ面白くない……。ここは工芸室……。

 

 

 

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"作品"を創り上げてみせよう!!!!

 

 

 

 

 

 

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どうしてこうなった。

 

 

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だいたいボビーオロゴン。

 

焦げます。どうしたって焦げます。

やっぱり料理できない男子高校生が5人集まって力を合わせても、「料理できない男子高校生5人」に過ぎませんね。突然フュージョンして料理スキル5倍になったりしないですね。

 

 

 

 

もう一つ。実はこの収穫祭の日、同好会メンバーの一人が誕生日だったのです。前回の記事で地中に埋まっていた彼なのですが……。

ということで、祝福も兼ねて、彼の似顔絵ならぬ「似顔パンケーキ」を作ってやろうではないか! という企画がスタート。

 

 

 

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顔の各パーツを焼いていきます。今度は焦がさないように……

 

 

 

 

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ガラ悪っ

 

自分はこんなのと友人だったのか……縁切らなきゃ……。

古傷の如くめっちゃ穴あいてますね。過去に4人くらい始末してる人の顔だ。

 

 

 

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実物は優しい顔をしています。パンケーキよりも甘いマスクです。

 

 

 

 

以上、収穫祭の様子でした。

 

 

 

 

 

【その後の菜園場】

ひとまずこの収穫祭をもって、家庭菜園同好会は解散となりました。

 

前回の記事にも書いたように、工事の担当者が私の高校出身者だったため、菜園場のある校庭の工事をしばらく延期してくれていましたが、12月に担当者が変わり、無情にも取り壊しが執行されたということです……。

仕方ないです。むしろここまで伸ばしてくれていたことに感謝すべきですね。

 

 

 

 

【まとめ】

家庭菜園同好会は、一言で言ってしまえば「中高生のやってるバカ」でした。

学生であることを免罪符に、ずいぶんとはっちゃけたコトをしたなぁと思います。

全力でバックアップしてくれた周囲の大人たちに感謝すると同時に、いつまでも少年のような遊び心を持って、こんなバカを理解できる大人になりたいな、と漠然とした憧れを抱きましたね。

 

また大学でもバカをやってみたいものですが、なかなか難しそうな感じがします。

入ってまだ1ヶ月なのでハッキリとは分かりませんけれど、なんとなく「社会的責任」だとかそういう類のものが重くなったような気がするのと、私のいた高校のような、ノリとテンションで行動する人種が、希少種になってしまったのと。

 

いまは、そんな閉塞感がなんだか少ししんどいですが、反芻したい時にいつでも開けられる思い出の引き出しに、ほんのちょっとした宝物をしまえたような気がしました。

校庭の片隅で野菜を育てていた頃の話 後編

前回の続きです。

 

 

突然ですが、夏休み、家庭菜園同好会は最大の危機を迎えました。

 

私たちの高校は、体育館の改修に伴う大規模工事を行っていたのです。

校庭もまた、工事区画の一部だったため、菜園を崩さなければなりません。

 

我々のバックについてる、例の工芸教員H氏に無理を言って、なんとかならないか?

いやいや、こればかりは、いくら理事でも解決できないでしょう。工事を請け負っている企業との兼ね合いもあるのですから。無謀ってもんです。

楽しかった耕作ライフが、走馬灯のように頭の中を駆け抜けていきます。ああ、これがエンディングか。なんて儚いんだ。ありがとう、カボチャ。ありがとう、大根。

 

 

「工期、遅らせてくれるってよ」

「!?」

「請け負ってる企業の担当者が、うちの高校出身らしいから」

 

理由になってない。なんなんだよそれは。

 

大人の世界っていうのは、意外にもノリとテンションで動いているんだなあ。純朴な高校生だった私は、そんな教訓を得たのでした……。

 

 

 

さてさて、T校長と工芸教員Hの強力なバックアップのもと、夏休みも栽培に勤しんでいきます。

校長のプランターに勝手にカボチャを植えた例の彼が、この長い休暇の間、Twitterを利用して活動を記録していました。

作物たちに名前をつけて、その様子を報告するわけです。「本日のイヴ」とか、「本日のスパゲッティーニ太郎」とか、「本日のグラマラス杉山」とか。ネーミングセンスが世紀末ですね。

それどころか、T校長を始めとした、高校の教員陣の名前も、植物の名前として勝手に転用されていきました。なんてことだ。恩を仇で返しやがった。

 

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これがT校長らしい。校長のつぼみってなんか隠語っぽさがあるぞ。

 

 

 

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あっ、数学科教員が枯れてる。

 

 

※なお、これらのTwitter活動はすべて校長に見られていたそうで、のちに卒業を祝う会にて校長のスピーチのネタにされたのでした……。

 

 

 

 

 

カボチャを実らせるには、夏の間に受粉をさせる必要があります。結論から言いましょう。これに失敗しました。

 

そもそも2015年の夏は日照時間が不足していて、雌花が1つしか開花しなかったのです。さながらカボチャサークルの姫。

しかもこれに人工授粉させようにも、最初から周囲の雄花など、姫にとっては恋愛対象じゃなかったわけです。世界の縮図かよ。

 

こうして恋を実らせることも叶わず、姫に搾り取られただけ搾り取られた雄花たちは、2学期が始まる頃にはみな精魂尽き果てて枯れていき、同様に姫自身も"取り巻き"を失って萎んでいってしまったのです。

 

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              写真がないのでイメージでお楽しみください。

 

 

こうして、幾多の困難を乗り越え、教員たちのバックアップも受け、必死に頑張ってきた家庭菜園同好会は、日照時間という名のサークルクラッシャーの手で、ボコボコにされたのでした……。

やっぱり初年度から成功させるのは難しいのですね。高3の生徒5人だけで運営していたので、後を託す後輩もいませんし。

この記事を見た後輩がリベンジしてくれることを祈るのみですね。

 

 

 

 

……いや、これではいけません。

このままでは工芸が100点ではなk応援してくれた皆さんに顔向けができません!

我々をなんだと思っている! 理事を味方につけ、校長をねじ伏せた、天下の家庭菜園同好会ぞ? ただでは終わらせぬぞ?

 

 

「どうしようか? 卒業アルバムの団体写真コーナーにも『家庭菜園同好会』で申し込んじゃったよ?」

「今更『栽培できませんでした』なんて言えない……工芸の単位が落ちる……」

「とりあえずさ、学校の近くにスーパーあるじゃん」

「ありますね」

「カボチャとかキュウリとか売ってるよね」

「ちょっと待て」

 

 

 

 

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こうして卒業アルバムに刻まれた「家庭菜園同好会」の写真は、一見「作物を育て上げた男たちの一枚」のようで、実際は「スーパー帰りに買ってきたものを広げてる男たちの一枚」という、最高に最低な詐欺写真となったのでした。

もちろん工芸のH氏には「これ全部獲れました! 大豊作です!」と通告。笑顔で褒め称えるH氏。良心の呵責に苦しむ同好会。

もはや一周まわって諦めてバナナとか持ってる人もいますね。育てられるもんなら東京でバナナ育ててみろよ。

 

 

 

 

 

 

ところで皆さん、この写真……

 

 

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おわかりいただけただろうか……

 

 

 

 

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う"わ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ぁ"ぁ"

 

 

 

 

写真を撮る日の朝、メンバーの1人が「地面から生えたい」などという妄言を始めたため、私たちは仕方なしに3限と4限の授業をブッチして校庭に穴を掘り、そこに彼を埋めたのでした。

それはもう、虚しくて、悲しくて、つらい作業でした。

彼の洋服が汚れないようにブルーシートに包んで埋めたわけですが、端から見たら完全に死体遺棄現場。

 

 

……と、こんな感じで、最初から最後まで意味のわからない同好会でした。

あまりイベントに恵まれない高3で、なかなか貴重な体験ができたように思えます(最後だけそれっぽくまとめていくぞ)。

 

 

家庭菜園そのものの話はこれで終わりです。次回は収穫祭(収穫したとは言ってない)の様子を書こうかと思います。では!

校庭の片隅で野菜を育てていた頃の話 前編

高3の初夏、いつも通り親しい友人ら数人と雑談していると、突然このような誘いを受けました。

「いま僕ら校庭で野菜育ててるんだけど、お前もやろうぜ」

 

 

高3の雰囲気は少しピリピリしていました。大学受験が近く、休み時間に勉強する人も増え、教室でワイワイ騒ぐのはなんとなく申し訳ない雰囲気。

その中で、校庭で野菜を栽培してる受験生。最高じゃないですか。

 

そんなアマノジャクな発想もあって、「家庭菜園同好会」という名の集いに、私も混ぜてもらうこととなったのでした……。

 

 

 

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うわあ。本当に校庭の片隅だ。というか完全に荒地です。草生える(ダブルミーニング)。

 

 

 

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まずは雑草をむしり、土壌を整え、作物を植えていきます。

幸運にも、校庭の隅にはクワやらスコップやらが沢山ころがっていました。きっとフリー素材だ。自由に使おう。

 

 

 

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洒落た花壇が完成。しかし石ころを使うとゴツゴツしてしまいますね……

 

 

 

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ふたつめの花壇は、本格的な石のブロック製になりました。

 

 

 

なお、この活動には、工芸の教員であり学校の理事でもあるH氏という強力なバックが存在していました。

おかげで活動の正当性が保て、学級内での宣伝も胸を張って行えるようになり、「どうやら校庭の脇で菜園している団体があるらしい」ということが、それなりの人に認知されるようになっていきました。

それどころか、高3の工芸の授業について「採れた作物を提出したら100点にしてください」という交渉を持ちかけた結果、なぜか普通に了承してくれたそうで。もはや提出というか年貢納め。というか、校庭の改造を黙認する理事、大丈夫なのか……?

 

 

 

 

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石づくりの椅子。周囲に落ちている鉄パイプたちをクラブに、菜園場の近くで練習している軟式テニス部のこぼれ玉をボールに見立てて、ゴルフも楽しめます。

 

 

 

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カラーコーンを繋ぐ、縞々のパイプってあるじゃないですか。あれって中が空洞になっているんですよ。つまりパイプに穴を開け、その端をホースに繋ぐことで、こんなに立派な灌漑設備が完成してしまうわけです。

 

 

 

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雨ニモマケズ(豪雨時の排水設備)

 

 

 

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風ニモマケズ(なんか近くに落ちてた神輿で防風)

 

 

 

 

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"畑の守り神"に就任した木の枝女神。なんという自然の造形美。妖艶な下半身。

 

 

 

 

……と、こんな具合で、順調に作物たちは成長していきました。

私は月曜日の水やり担当でした。学校が休みで水やりのできない日曜日の翌日ということで、少し多めに水を流してやる必要があったり。

 

しかしそんなある日、同好会の主催者の一人が、突然の告白。

 

 

「T校長の花壇にカボチャ植えた」

 

 

……好きです。こういうバカが好きです。

 

 

私の高校のT校長は、校門近くの小さなプランターでお花の世話をするのが趣味でした。

朝、早めに登校すると、校長がニコニコしながらお花たちに水やりをしている場面に遭遇できるそうです。早めに登校したことがないので分かりませんが。

 

 

「だって校門前のほうが日当たりいいし、勝手に校長が水やりしてくれるから」

「許可は?」

「ない」

 

 

実際、その言葉通り、校長の花壇に植えられたカボチャは、校庭脇のカボチャとは比べ物にならないくらい、グングンと成長していきました。

おかげさまで、すぐにプランターのキャパシティを超え、もう目に見えて"花ではない何か"の存在が確認できるようになり、当然T校長も気づき、その植えた張本人は校長と話をするハメに。

 

しかしタダでは終わらない家庭菜園同好会。校長に話をつけ、屋上での栽培を許可してもらうことに。校長はマジで天使なのか? と思ったが、花と戯れて笑う姿はどちらかといえば妖精に近い。

 

そんなこんなで、ついに校長公認となった家庭菜園同好会。夏休みを迎え、いよいよ野菜作りは佳境へと差し掛かっていくのだった……(つづく)

大学受験についての個人的体験記

3月も間もなく終わりですね。

私自身の3月は、堕落に堕落を重ね、果てしなく"虚無"でした。来月こそは真人間にならないと……。

 

さて、入学前からクズ大学生の典型のような生活を送っている私も、先月までは受験生でした。「受験生」、なんだか見ただけで熱いパトスがほとばしってくるような文字列ですね。

将来的に予備校業界に入る予定なんて、現時点ではありませんし、ほうっておけば自分が「受験生」だった頃のことなんて、すぐに忘れてしまうと思います。

その備忘録も兼ねて、今後大学受験を予定している後輩たちに向けての合格体験記を、ここに記しておきたいと思います。

 

現時点で「勉強そのものを行うことができる人」は、次の【大前提】と【勉強そのものについて】の2項目は飛ばしてしまって構いません。

「勉強そのものがアレルギーで、数分すらも行えない状態の人」は、最初から読むことをお勧めします。

 

 

【大前提】

私は東大の文科三類を受験したわけですが、少なくとも東大レベルの学校は、誰であれ一定以上の勉強をしないとムリです。「どんなに頭が良くても知らなければ100%解けない問題」が大半を占めるから、という単純な理由です。

何を当たり前なこと言ってんだコイツ……と思った方は、およそ健全な感覚を持っていると思います。ほえええええ!?と思った方は、ちょっとやばいです。

ただ、少なくとも受験勉強を始める前の私がこの記事を読んだら、多分「ほえええええ!?」 って言うと思いますし、自分の周りにも言いそうな人はいっぱいいました。

 

これは「才能」を至上とするトレンドが根底にあるような気がします。

「平凡でダメダメな主人公」が頑張ってのし上がっていく構図の、クラシックな物語よりも、「最初から能力を持った主人公」が異世界でそのチートな力を行使してハーレムを形成する物語の方が、やはり"今めかしい"感じがしますもんね。

 

ようは、心のどこかで、東大(に限らず一定レベル以上の大学)を「天才が何もせずに入るところ」、勉強という行為を「凡人の足掻き」と考えてしまっている人が、意外と多いように思います。こうなると、自分を凡人と認めるのが嫌で、勉強から遠ざかってしまう。

 

この前提段階でつまずいている方々、安心してください。ここで書いたような意味での「天才」は、きっと100年に1人も現れないでしょう。それ以外は等しく「凡人」です。何もしないと無力です。変なプライドで才能云々について考える時間があったら、寝たほうが有意義です。

 

 

【勉強そのものについて】

さて、小賢しい精神論を並べてしまいましたが、ここからは勉強モチベについて。

 

おそらく「しなきゃいけないのは分かった。でも勉強する気が起きねえよ」という人が多いと思います。

ちょっとした自分語りをしますと、私は小2から高1まで、机に向かって勉強をしたことがありませんでした。それで成績も良ければ自慢もできるのでしょうが、当然のように、何もかも分からないド底辺が完成しました。人間だもの。

 

高1のときに試しに受けた河合の全国模試で偏差値30を取って、流石にやばいなと思ったのが、「勉強そのもの」を始める契機になったことでした。最初は机に向かう練習から。次は1日に15分だけでも参考書を読んだり、数学の問題を解いたりするステップに。完全に病人のリハビリです。

 

忍者の訓練として、こんな伝承がありますね。苗木を植えて、毎朝その上を飛び越えると。今日は昨日より、明日は今日よりも木が成長しているから、これを続けているうちに、何年後かには数メートルもの木を飛び越えられるようになっていると。

この伝承の真偽はさておき、勉強はこれと似たような感覚だと思います。

ずーっと遊び続けて、突然本気を出せる人なんて、滅多にいません。出せたとしても、短期間で燃え尽きてしまうはずです。

ようは、少しずつ体を慣らしていきましょう、ということです。とても地味だけれど、上記のような"リハビリ"は、一番堅実な方法だったと思います。

 

 

【実践的なこと】

さて、勉強そのものの遂行が可能になったら、ここからは如何にして効率を上げるかの勝負です。覚えるのに本来なら3時間かかるような事項を、如何にして1時間で済ますかという話です。ずいぶんと胡散臭い話ですね。

ここまで読んだ人なら察しもついているかと思いますが、私自身とてもモノグサだったので、とにかく効率化(「ズル」と読む)に命をかけました。

 

まず、勉強環境。私の通う高校は、高3になっても授業中めちゃめちゃうるさかった(結局は私も騒いでた)ので、授業時間に勉強することは諦めて、友人との雑談に徹していました。

当たり前のことですが、集中できない環境で勉強しても意味がないですし、むしろ中途半端な集中状態で読んだ教科書の内容を「既習の事項」として処理してしまうと、そこがポッカリと知識の穴になってしまうかもしれません。やっぱりこれも、まだ寝たほうが有意義です。

では、どこで勉強するか。私は図書館や予備校の自習室も一時的に利用していたことがあるのですが、最終的には自宅の机に落ち着きました。知らない人が近くで鼻息荒くして勉強していると集中できないというのと、自宅なら好きな時に寝っ転がったりシャワーを浴びたりできるというのと。

逆に、自宅では勉強できないと言う友人もいました。どうしてもパソコンをいじっちゃうとか、妹がうるさいとか。妹ほしいな(全然関係ない)。

しばらくは色々と場所を変えて勉強してみることをオススメします。お気に入りの場所が見つかったら、そこでしばらくやって、飽きたらまた場所を変えてみるとか……。

 

次に、予備校について。

週に5日とか通う人も多いようですが、個人的にはオススメできません。詳しくは後述しますが、一番効率のいい勉強は、やっぱり自分のペースで行うものであって、「予備校の授業」とは少し違うように思います。

それでも、予備校は決して無意味なものとは思いません。私は主に「情報を手に入れること」「ペースメーカーにすること」を意識して利用していました。

たとえば、一定期間ノータッチでいると、簡単に実力の落ちてしまう英語。この英語の授業を週1で取ることで、世界史を重点的に勉強している期間も、英語力の低下を最小限に抑えたり。

予備校の利用方法は人それぞれだと思いますが、「あまり依存しないでほしい」というのが正直なところです。あちらが提供できるアドバイスやセオリーは、どうしても一般論に堕落してしまう、という限界があります。仕様です。

 

 

最後に、自習について。長めの項目になります。

 

勉強を開始する前に、ぜひやってほしいことは、志望大学の出題傾向の研究です。実際に過去問を買ってニラメッコするのもいいですし、現代にはインターネットという便利なツールも存在するのですから、これを利用して出題に関する様々な評論を読んでみるのもいいでしょう。

この作業をしばらく続けるうちに、大学側が各科目に要求するレベルを認識することができるようになるはずです。

例えば東大の文科ならば、

「英単語は2000語程度の単語帳を覚えれば充分だな。それよりも文脈から単語の意味を推測する訓練をした方がいい」

「数学は標準レベルの問題が解ければ大事故は防げるな。それ以上は『解けたらラッキー』のスタンスでいよう」

「世界史は教科書レベルの暗記で対応できるな。むしろ各出来事の因果関係を簡潔に説明できる能力が問われるな」

……といった感じの結果を得ました。少なくとも、この時点の私は「2000語程度の単語帳」をやっていたわけでもなければ、「教科書」を読んだことがあったわけでもないので、この得られた結果は"ただの文字列"でしかなく、「じゃあ、それがどのくらいの知識量なのか」という具体的なビジョンはありませんでした。それでいいと思います。ただの文字列だったとしても、あらかじめ知っておくことに意味があります。

 

結果を得たあとは、それらの知識量を得るのに最適な参考書を調べ、揃えて、こなしていくだけです。

ここで注意してほしいのは、「完璧主義者にならないで」という点です。参考書を読んでいると、隅っこのほうに小さな文字で細かい補足事項が書かれていたりします。そういうものを目にしているうちに、「この本に書いてあること全て、出題されてもおかしくないんじゃないか」という考えに行き着いてしまうかもしれません。

私も当初はそんな感じでしたが、最終的には諦めがつき、「こんなマニアックな知識は絶対出ないし、もし出してくるような大学だったら行かなくていいわ」と逆ギレしながら読んでいました。このくらい雑なスタンスでいたことが、結果的に良い方向に作用してくれたように思います。

 

ではでは、最後の最後に、勉強における具体的な小手先テクニックについて。

 

たとえば世界史なら、色々な方法を試した結果、

「西洋史は特徴的な語感のワードが多いから音読して覚える」

「中国史は漢字が複雑なので書いて覚える」

「文化史は"流れ"が関係なく各事項が独立しているので、音読した音声を録音して聴いて『音』として覚える」

といった具合で進めるのが、私にとって最も効率的と分かりました。さらには、暗記科目の勉強は夜遅くに限定し、布団に入ってから寝付くまでの間は頭の中で反復するなどして、「寝る直前の記憶が最も定着しやすい」「一度反復した内容は忘れにくい」あたりの科学的事実も味方につけました。

 

もちろん、やり方は人それぞれになると思います。学校や塾、友人などに勉強方法について尋ねるのはとても有用ですが、そこで言われたこと全てを鵜呑みにするのではなく、自分に最も合う方法を模索するための素材にしてほしいです。自分のことを一番知っているのは、やっぱり自分ですからね。

"ハマる"やり方さえ早い段階で見つけてしまえば、成績はホイホイ上がると思いますし、時間に余裕も生まれると思います。そういう時間の利用法として、楽しい趣味を持っておくといいかもしれませんね。私はピアノを弾いたり、曲を作ったり、イラストを練習したり……という時間を必ず持つようにしていました。精神的な安寧を得られるはずです。そして一日じゅう勉強ばかりでは、逆に効率が落ちるとも思っていたので、勉強時間は長くとも7時間前後でセーブするようにしていました。こればかりは長ければいいというモノでもないです。楽々できる人は7時間以上とか勉強しても良いと思いますが、どうか無理のない範囲で継続していってほしいです。

 

 

ダラダラと書き始めて、いつの間にかとりとめのない長文になってしまいましたね……所々文章が死んでそう……。

 

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