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えいちゃーろぐ!

不定期で更新していきます

独断と偏見で選ぶ処刑用BGM 15選

 

 

 というだけの記事です。というかネタが舞い込んでくるのを待ち続けるうちに3か月くらい更新ナシ……みたいな現象に陥り続けていたので、今後はこういう些細なことでも記事にしていこうかと思います。許して。

 

dic.nicovideo.jp

「処刑用BGMとは何ぞや?」と思った方は上のリンクを見ればだいたい分かると思いますが、おそらく捉え方は人によってまちまちでしょう。私個人は「絶対に負けられない戦いの曲」くらいに捉えています。この曲がかかっているのに負けるわけにはいかねぇだろ!みたいな。

さらに言えば「処刑用BGM=何かしらの物語を伴った音楽」という認識が一般的ではないでしょうか。アニメやゲームから映画やドラマに至るまで、処刑用BGMの登場する媒体は、物語を描いているものが大半だと思います。ぜひ音楽を聴きながら、その『物語』を勝手に空想して楽しんでいただければと思います。

なお私自身の趣味の関係上、全体的にゲーム音楽に偏っているので、そこは疎いジャンルなんだよな……という方は特に参考になるかと思います。それと、ツイートでは「30選」なんてカッコつけて言いましたけど、紹介するまでもなく超有名な曲たち(「我が心 明鏡止水 ~されどこの掌は烈火の如く」とか)を除外して「ちょっとコアなところを突いてやる!」ってやっていたら30曲も思いつかなかったので15曲にしました。ごめんね。

 

 

 

■Super Sonic vs. Perfect Dark Gaia

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ソニック ワールドアドベンチャー』のラスボス、パーフェクトダークガイア戦のBGM。実は本作のメインテーマであるEndless Possibilityのアレンジ。メインテーマを最後に聴かせてくるのはベタだけどニクいですね。シンフォニックメタルはラスボスに合います。

 

■The Decesive Battle

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超有名フリーゲーム制作サークル「カタテマ」の代表作のひとつである『魔王物語物語』のボス戦BGMとして有名なこの曲ですが、実は音の回廊で配布されている素材BGMです。他にも「ふしぎの城のヘレン」辺りのフリーゲームでも流れますが、実際に使用する際は会員登録などちょっとした手続きが必要なのでご注意ください。

 

■The Azure Arbitrator

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英雄伝説 碧の軌跡』のラスボス、碧のデミウルゴス戦のBGM。この戦闘には時空大崩壊(リンク先ネタバレ注意)という技がありまして、どちらかといえばこちらが処刑されている感すらある曲ですね。ラスボス特有のコーラスが特徴的なイントロに始まり、サビまで駆け抜けていく構成が、引くに引けないどうしようもなさをよく表しています。

 

■いけいけマーチ(Accretion Disk)

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ガラリと雰囲気が変わって、「邪魔する者なんて蹴散らしていけ!!」という感じの曲になりました。かの有名なタクティクスオウガの前身、SFCゲーム『伝説のオウガバトル』のマップBGMです。私が持っているサウンドトラックでは『Accretion Disk』という曲名なので探すのに苦労しました……。

 

■リリーゼと炎龍レーヴァテイン

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KONAMI音ゲーに入ってたり入ってなかったりする曲。そのため知名度では姉妹作の量子の海のリントヴルムに劣りますが、「処刑感」は圧倒的にこちらが上。2曲ともストーリーは公開されていませんが、動画からして妄想が捗りそうな感じですね。ちなみに私は稀にリフレクをやりますがどちらとも本当に無理です。

 

■危機

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聖剣伝説2のボス戦BGM。個人的な話ですが私が生まれて初めてプレイしたゲームでして、小学生ながらに「型破りな音楽だ……」って感動した覚えがあります。焦燥感を煽るイントロから突破口を見つけたサビの盛り上がりまで、ボス戦を象徴するような展開と言えます。

 

■彼の者の名は

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ブレイブリーデフォルトアスタリスク所持者戦BGM。作曲はSound Horizonで有名なRevo氏。彼の作る旋律のロマサガ的?なアツさと厨二感が特に滲み出ている曲です。ギターもヴァイオリンも生音なのでしょうけれどめっちゃ上手いですよね……。

 

■Niflheimr

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台湾のゲーム企業Rayarkの処女作である音楽ゲーム『Cytus』に収録されている楽曲。Niflheimrとは北欧神話に登場する氷の国で、

彼は燃えさかる剣を手に持ち,世界の終末(ラグナレク)が近づくと荒し回り,世界を火で焼き尽くすことになる。奈落の口の北側にはニブルヘイムNiflheimrがあり,そこには氷と霜があって毒液の流れが奈落の口に流れ込んでいる。ムスペルスヘイムからの熱風とニブルヘイムの霜とがぶつかると,霜が溶けて滴り,そのしずくが熱を送る者の力によって生命を得,巨人ユミルYmirが誕生する。(世界大百科事典より)

なんてファンタジックな資料が出てきたりと、色々とそそられるワードですね。ときどき聴こえてくるファーン!の音がヤバそうな雰囲気を醸し出していて好きです(ボキャ貧)。

 

■Amatias

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個人的に(勝手に)推している作曲家・ことりさんのプログレッシヴメタル。これも被処刑BGMという感じがします。なお曲名を逆から読むと……。

ことりさんはフリーゲームを遊んでいるとしばしばクレジットに名前が挙がる作曲家さんではないでしょうか。こういったテイストの作品が多数あるので気に入った方はぜひ他の曲も漁ってみてください(ダイレクトマーケティング)。

 

■Loki

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アルトネリコ』シリーズの第一作『世界の終わりで詩い続ける少女』より、ファルス司祭戦BGM。とてもシンプルな構成ですが音源の特質も相まってか緊迫感のある作品です。これもどちらかというと被処刑に近いような。

 

■Emerald Sword

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イタリアのシンフォニックメタルバンド・Rhapsody Of Fireの歌う所謂クサメタル。テレビでも流れることは多いので聴き覚えのある方が多いのではないでしょうか。それにしても本当にクサいです。よく聴くと歌詞も相当クサいです。この曲をバックにエメラルドの剣を携えて敵をバッタバッタと薙ぎ倒していきたい……。

 

 ■雲烟飛動

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シャリーのアトリエ~黄昏の海の錬金術士~』より、アトリエシリーズを代表すると言っても過言ではない戦闘曲です。強大な敵を感じさせるイントロ、雄大なヴァイオリンソロ、そして4拍子になると同時に一気にロック調に変化して畳み掛けるような盛り上がりを見せ、そしてどこか懐かしさを感じさせるメロディを転調しつつ繰り返すサビ……と、1曲のなかに物語が凝縮されています。

 

■Leap the precipice

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ショパンをテーマにしたRPGトラスティベルショパンの夢~』の通常戦闘曲。オーケストラ調とはいえ編曲は事実上のロックで、案の定というか作曲は『ヴァルキリープロファイル』『スターオーシャン』などで有名な桜庭統さん。隠していてもロックな本性は牙を剥くものです。通常戦闘曲にして迫真という感じがしますね。

 

■天羅の翼

http://www.kazamit.com/midi/K0tenra.mp3

風見鳥さん(KMF - Kazamit Multimedia Factory)がサイトで公開している使用可能な楽曲のひとつ。『セラフィックブルー』『はにょう8』『悠遠物語』などの有名なフリーゲームで使用されています。個人的には『クサいセリフを叫びながら戦いたい曲ランキング 第1位』です。サビ前の8小節(00:41~)でほんっとうに小さく聴こえるハーモニカの動きがお気に入り。

 

四魔貴族バトル2

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ロマンシングサ・ガ3より、vs四魔貴族(真)BGM。おそらく今回のまとめの中では最も有名な曲ではないでしょうか。常々「お祭りっぽい曲だなぁ」と思いながら聴いているのですが、なんというかお祭りの曲と同じで妙な中毒性があります。ゲーム中では彼らを倒すことでラスボスが弱体化するため、本当に「処刑」する対象となっているのですが、初見では彼らと戦うルートに気づかない人も多く、この曲を聴かずにクリアするパターンもあるとか……。

 

 

以上です。あなたにピッタリの曲は見つかりましたか? 先の内乱で帝国軍に殺された親友の仇を討つときなどに是非ご活用ください。

財布のブランドをオタク100人に聞いてみた

さて、皆さんは最近のTwitterで流行りの構文をご存知だろうか。

たとえば、オタクが恋愛のことやら運動神経のことやら、何かしらイキった発言をしたとする。「俺オタクだけど流石に女の子から告白くらいされたことあるし普通の人生経験だと思ってる」みたいな。すごいキメ顏で呟いてそうな。

そんなセリフを見た他の誰かが、「俺オタクだけど流石に女の子から告白くらいされたことあるし普通の人生経験だと思ってる(オタク特有の早口)(クチャクチャ)(アディダスの財布)(親が買ってきたチェックシャツ)(プーマの筆箱)(指紋でベタベタのメガネ)(プリパラでマジ泣き)(ワキガ)(ドラゴンの裁縫セット)(瞬足)(コーナーで差をつけろ)」といった具合に、典型的なオタクの特徴を羅列しつつ改変して、「カッコつけた発言」を「ただのオタクの戯言」にグレードダウンさせて遊ぶものである。

オタクの自浄作用とも、「てめえオタクのクセしてマウンティングしてんじゃねえぞ」という威圧とも取れるこの構文であるが、中でも特に印象的(あるいは代表的)なオタクの特徴は「アディダスの財布」の部分といえるだろう。私自身、この構文の代名詞として「アディダスの財布」が使われているケースを何回も見た。

しかし、ここで根本的な疑問が浮かんだ。

「自分の周りでアディダスの財布を使ってるオタク、いたか?」

実際どうなのだろう。言うほどアディダスの財布って"オタクの特色"っぽくない気がする……。

そこで、実際に「何の財布を使ってますか」というオタクへの聞き込み調査を行ったのが本記事である。

 

【調査の概要】

2/5 15:13に「自分が少しでもオタクだと思う人は、このツイートを見たら『使っている財布のブランド』をリプライで教えてください」とツイート。その結果、

・2/6 17:24までに送られてきたリプライ92件

・TL上で回答してくれたオタク3人

・私のオタク友達4人

・自分

の合計100人の財布、のべ107個を調査することができた。まずは協力してくださった皆さんに心から感謝したい。

なお、「過去に◯◯を使っていた」という回答はブランドごとの個数にはカウントしていないが、別途集計した。「わからない」と「ノーブランド」は別集計としたうえでランキングからは除外した。

 

 

【調査結果】

 

1位 PORTER,ルイ・ヴィトン 6人

 

3位 Paul Smith 5人

 

4位 アディダス,COACH 3人

 

6位 PRADA,ラルフローレン,Vivienne Westwood,Lee 2人

 

10位以下 各1人

 

(「ブランドがわからない」は4人、ノーブランド品は7人)

 

 

【総評】

オタクが最も愛用する財布ランキングの結果は、吉田カバンの看板ブランド『PORTER』と、超有名ブランド『ルイ・ヴィトン』の同点1位となった。さらに2位には『Paul Smith』が続き、意外にも世のオタクが高級品を愛用していることが見て取れる。よって上記の構文も、

「俺オタクだけど流石に女の子から告白くらいされたことあるし普通の人生経験だと思ってる(右手にはPORTERの財布)(左手にルイ・ヴィトン)(頭上にPaul Smith)」

とするべきである。なんということだ。イキリオタクの痛々しい発言が富裕層の人生指南にしか見えない。

 

さて、「オタクの代名詞」とされていた「アディダスの財布」はCOACHと並んで4位である。やっぱりそんなにアディダスを使っていないのでは……と言いたいところだが、ここでもうひとつ興味深いデータがある。「現在進行形でアディダスを使っている」と答えたオタクが3人だったのに対し、「昔はアディダスを使っていた」と答えたオタクは4人もいたのだ。「昔は◯◯を使っていた」系の回答は何件も寄せられたが、「現在使っている人数」を「昔使っていた人数」が上回っているのはアディダスのみである。

ここで私は2つの可能性を考えた。

ひとつめは、「『アディダスの財布』構文の流行を受けてアディダスの財布が大量に破棄されている」説である。オタクはステレオタイプを嫌う傾向にある。「チェックシャツ=オタク」という言説が出回ってからチェックシャツを好んで着るオタクが明らかに激減したのと同様に、アディダスの財布を手放す人が急増しているのではないか?という説だ。もしこんな現象が本当に起きていたら創業者のアドルフ・ダスラーも墓の中でオイオイ泣いているに違いないが、正直なところ現実では考えづらい。

ふたつめは、「アディダスが幼児性の象徴と考えられやすい」説である。子供の頃はアディダスを使っていたけれど、大人になったから高級なブランドのやつに買い換えよう〜という人が多いということだ。「幼児性」という言葉を用いたのは、前述の構文中にある「親が買ってきたチェックシャツ」「瞬足」辺りとの兼ね合いもある。オタクの"子供っぽさ"を強調するために構文中で「アディダスの財布」を含むこれらのアイテムが機能しており、実際それらは子供が大人になるうちにお別れするケースが多いからこそ、「昔はアディダス」現象が多発したのだろう。

 

しかし「現在進行形でアディダスの財布を使っている」という私のフォロワーのオタクは、それをツイートしたのち、こう付け加えた。「俺は好きな財布使う。」……へんな風潮には負けず、"大人っぽい"やら"子供っぽい"やら、他人からどう思われようと自分は自分の好きなものを使うぞ!という姿勢を貫く。最高の気概だと思う。

"自分"を強く持っているオタクは美しい。胸を張って堂々と、親が買ってきたチェックシャツを羽織って瞬足で街に出かけてほしい。アディダスの財布も忘れずに。

とっとこハム太郎に見る「神」と「反逆」

エンタメ

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皆さんは「とっとこハム太郎」というアニメをご存知だろうか。簡単に言うと「ハムスターたちがケージから脱走して集まってきてワイワイするアニメ」だ。

その集まりを彼らは「ハムちゃんず」と自称しているのだが、私は前々からハムちゃんずの組織体制について言いようのない狂気をおぼえていた。それは「主に恋愛を原因としたドロドロの関係図の中に置かれており、なおかつメンバーごとの優遇・冷遇が露骨であるにもかかわらず、洗脳されたとしか思えないほど『なかよし』関係を強調して場を持たせている」ところにある。中学のブラスバンド部かよ。

 

まずは有名な画像で相関を整理してもらおう(拾い画で失礼)。

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この時点で「仲良し」が破綻している。

ハムちゃんずのメインキャラクターが15匹であり、男女比が11:4(4匹のメスのうちちび丸ちゃんは「うきゅー」以外のボキャブラリーを全て失ったため実質3匹)であることを考えると、リボンちゃんやマフラーちゃんのような姫が発生するのも自然といえる。しかし、こんな昼ドラも真っ青な相関のなかで「ぼくらは なかまさ」なんて言うのは些か白々しすぎやしないだろうか。

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リボンちゃんなんてもはや台風である。

 

この関係性を頭に入れてもらったところで、以下に新説を投げかける。

 

 

「へけっ」「くしくし」などと人畜無害そうな振る舞いをしているが、私は彼を「観測者」と位置づけるし、"神"としてこの組織を俯瞰する者であると考える。

根拠を説明しよう。大前提として、ハムちゃんずは「リボンちゃん」「マフラーちゃん」など外見的、あるいは「まいどくん」「ねてるくん」などの特徴的な性質を名に冠した者たちが、それぞれの性質に沿って与えられた役割を閉鎖空間で演じ続ける組織である。関西人らしい性質から「まいどくん」と名付けられたのか? 否。名付け親である人間がハムスターの関西人らしさを感受することは不可能だ。「まいどくん」と名付けられ、「関西人」という役割を与えられたことを受けて、それに沿った行動を自発的に取っている……。彼らのアイデンティティの構築過程がこのような順序であったことは確定的だろう。

そしてこの事実を「地下ハウス」の閉鎖的な性質と統合的に考えると、ハムちゃんずがさながらスタンフォード監獄実験のようなシチュエーションを再現していることに気づく。

スタンフォード監獄実験 - Wikipedia

このような空間では

元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態(特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまい、さらに強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいることで、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう状態)に陥ってしまう。

とされる。このような背景を理解すると、「ぼくらは なかまさ」関係を強調する彼らの心情も分かるようになるはずである。

こうしくんのように愚鈍で全く役に立たないどころかすぐにヒマワリのタネを無くし全体の足を引っ張るにもかかわらず最終的にじゃじゃハムちゃんとの結婚まで取り付けて最終話で放送されるような"神に愛されたハムスター"もいれば、パンダくんのようにハムスター離れした技術力を持っているにもかかわらず19話で「ハムちゃんずランド」を建設した際に「とっとこ活躍!パンダくん」とまるで普段はまったく活躍していないかのような(実際まったく活躍していない)サブタイトルを付けられ、その後サブタイトルに一度も「パンダ」の三文字が輝くことはなかったどころかアイデンティティたる「ハムちゃんずランド」とともに出番が激減していき、ついには245話でめがねくんに「ハムハムランド」と言い間違えられる(つまり脚本家すらハムちゃんずランドを忘れ去っていた)ほどに不遇なハムスターもいる。

このようにハムちゃんず内では個体ごとの力、立場の差が歴然であり、スタンフォード監獄実験の結果に基づくならば「次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう」危険性をはらんでいる。つまり、その暴走に歯止めをかけるため、理性を保ち続けるため、白々しくも「平等な仲間関係」を強調することが集団として不可欠だったのである。

さて、話を戻そう。地下ハウスという名の監獄において、ハム太郎のみが"役割"を与えられていないのにお気づきだろうか。すなわち「看守」でも「囚人」でもなく実験者のような立場であり、 コミュニティ内においてメタ認知能力を持った唯一のハムスターであると考えることができる。人間の社会になぞらえるならば間違いなく"神"的な立場であろう。さもなければ彼がハムちゃんずの絶対的なリーダーであることに誰もが盲信的であることは説明がつかない。彼は全てを俯瞰しており、ハムちゃんずの各々が与えられた"役割"に沿って行動し続けるよう静かに仕向けている。それが彼の支配力に疑問を抱かせないギミックともなっているのだ。

 

 

 

  • タイショーくん ー神への反逆者ー

さて、上記のことを踏まえ、タイショーくんの反逆者たる所以を説明しよう。

そもそも、ハムちゃんずに地下ハウスを貸し出しているのはタイショーくんである。彼はねてるくん以外の他のハムスターとは異なり「野良ハム」であり、人間の保護を受けられないため、命の危険に晒される可能性が圧倒的に高い。そもそもハムスターは寒暖差の激しい日本の気候には適応できず、野生のなかで自然繁殖することは非常に考えづらいため、タイショーくんは過去に捨てられた可能性が高い。カーストとしては間違いなく底辺である。

そんな底辺ハムスターは、1話のハム太郎とこうしくんに出会ったシーンで、「人呼んで タイショー」と自己紹介した。その一方で、彼のキャラソンである「のらハム行進曲」では「おれさまは野良ハムだからな、今までずーっとひとりだったんだ」と語っている。これらの事実から、タイショーという名前すら「人呼んで」と偽りつつも自称に過ぎない可能性が高い。捨てられた自分自身を「タイショー」と自称したときの心情はいかなるものだったのだろう。野良ハムスターであることへのコンプレックス、さらには自分自身へのコンプレックスを抱え、それを包み隠すように「タイショー」などという称号を用いる、そんな出自に自信を持てない人間の歪みを反映したかのようなキャラクターである。

もうひとつ、1話を見ていて気づくべきことがある。タイショーくんのハム太郎たちに対する態度が、その後の彼からは想像もつかないほど柔和で温厚なのである。

youtubeに公式動画がアップロードされているのでそちらを参照されたし。諭すような口調、寛容な態度……。自宅への通路を破壊して不法侵入してきた非常識な飼いハムスターに対して、出自へのコンプレックスを抱えた野良ハムが取るとは考えづらい行動だ。

しかしこれも彼の人心掌握術の一環であると考えれば決して不自然ではない。初対面の飼いハムスターに対し自身が「大将」であると自己紹介することで刷り込みを行い、その後自身の家に案内することで心を開いているかのようにアピールし、最後にリボンちゃんへの恋心を打ち明けることでアドバイスを引き出すのみならず"弱み"を見せつけ信頼させる。2話でタイショーくんの家を改装した「地下ハウス」を拠点に「ハムちゃんず」というコミュニティを作るという展開も彼にとっては全て予定調和であり、事前に人心掌握を行っておくことでカースト的に自分よりも上位である飼いハムスターのコミュニティに入るという"ステータス"を得られるのみならず、その中でも支配的な立場を手に入れられるという算段である。コンプレックスを抱える相手よりも立場的に上になろうとするのは自然な心理であるし、それが彼にとっての人生逆転のための攻勢であったのかもしれない。 あるいは、ハム太郎が"役割"に縛られない絶対的な存在であると最初から察知していた可能性もあるが、いずれにせよ、ハム太郎に気に入られることで自身の立場を確立させようという魂胆が垣間見える。

こうしてハムちゃんずの重鎮となったタイショーくんであるが、それは前述のように心を掌握したことで"神"たるハム太郎に気に入られていたからに過ぎない。あくまで神側における下位の存在、いわば「天使」のような立ち位置に過ぎず、肝心の恋愛面ではハム太郎に完全敗北している。リボンちゃんは飼いハムの中でもカースト上位、いわゆるお嬢様であり、底辺であるタイショーくんのことを平気で利用するような腹黒女である。しかもハム太郎に熱中しており自分には見向きもしない。そのためかしばしばタイショーくんがハム太郎を出し抜いてリボンちゃんに言い寄ろうとするシーンがあるのだが、ことごとく成功しない。当然である。ハム太郎メタ認知能力を伴った神であり、所詮は監獄のなかで強い力を持ったに過ぎないタイショーくんに出し抜ける相手ではないのである。

しかし"天使"でありながら次第に神への反逆姿勢を見せるようになる点は、彼の特質を端的に表している。私はこう主張したい。彼は神に対して積極的に反逆し、堕天使となった者である。

それを裏付ける証拠が、無印最終話である193話にある。

ハム太郎とっとこむ:アニメストーリーしょうかい

タイショーくんの心の中で、悪魔タイショーくんと、天使タイショーくんが、あらそいをはじめた。
「恋のライバル、ハム太郎がいなくなれば、リボンちゃんとラブラブになるチャンス」と、悪魔タイショーくん。
「タイショーくんにとって、ハム太郎はたいせつな友だち」と、天使タイショーくん。
そして、とうとう、悪魔タイショーくんが勝ってしまった。 

 キリスト教の教理では、悪魔は堕天した天使であるとされる。このシーンにおいて彼は神であるハム太郎に反逆し、本来の天使としての性質と、悪魔としての性質の間で揺れた結果、ハム太郎の手によって堕天され悪魔となったのである。これはハム太郎の"神性"を裏付ける更なる根拠であるし、「天使と悪魔の闘い」「悪魔の勝利」は堕天を象徴的に表現していると見るのが自然である。

堕天後の彼は酷いものである。ハムちゃんず内での立場を失ったことを危惧してか193話では「自分探し」という名目で地下ハウスを脱走。195話からはハムちゃんずと接触する際に「ヒーローハム」という別名義を使わざるをえない状況になった。その後すぐハム太郎によって正体が暴かれてしまったが、190話および235話において張られたタイショーくんとおしゃれちゃんの恋の伏線も289話で唐突に「おしゃれちゃんはハム太郎が好き」という設定が付加される(露骨な圧力である)ことで改竄されてしまうなど、やはり明らかに冷遇が加速している。

ヒーローハム時代の201話なんて特に酷いものである。

ハム太郎とっとこむ:アニメストーリーしょうかい

タイショーくんがタネを地面にうめると、見る見るうちにたくさんの芽が出てきて、あっというまに魔法の花がいっぱい咲いた。
しかも、その魔法の花は、タイショーくんが言った言葉をそのままくりかえすではないか。
そうだ!この花を使って、リボンちゃんにヒーローハムのひみつを教えてしまえばいいのだ!と、タイショーくんは思いついた。

タイショーくんは、さっそく魔法の花に言葉を教えこんで、こっそりと、リボンちゃんに魔法の花の言葉を聞かせた。
ところが、リボンちゃんにむかって魔法の花が言ったのは…
「せいぎのヒーローハムは、ハム太郎なのです」
それを聞いて、びっくりするリボンちゃん。
ハム太郎がヒーローハムだったなんて…と、リボンちゃんはすっかりかんげきしてしまった。
どうもようすがおかしいと思ったタイショーくんは、もう一度、やり直してみることにした。

いっぽうリボンちゃんは、ヒーローハムのひみつのことで、なやんでいた。
よく考えると、ヒーローハムとハム太郎がいっしょにいたこともあったのだ。
そこに、ヒーローハムが、魔法の花を持って登場した。
ヒーローハムは魔法の花をリボンちゃんにプレゼントして、さっていった。

そして、魔法の花が、しゃべり出した…。
「タイショーくんは、おたんこぴーなのです」
やっぱり、魔法の花は、大しっぱい。
がっかりするタイショーくん。

神の存在なしに、こんな露骨な情報統制が起こり得るだろうか。神の怒りを買ったことは、これほどまでに罪深いのだ。

 

 

以上より「とっとこハム太郎」の本質は、監獄のなかで"役割"を与えられたハムスターたちが、仲良しごっこにより理性を保ちつつ、最終的に全員が神であるハム太郎に屈服するアニメである。

「東大に入ったら妹作ってやる」と言われたので入ったらいつの間にか妹ができていた話

自分語り

前回の鬱ハムbotに引き続き、「そろそろ時効だろう」シリーズ第2弾です。

 

 

 

半年前に、こんなツイートが話題になったかと思います。

「妹がほしい」……ひとりっこ男子が高確率で抱く願望。

「東大に行きたい」……これもまた多くの人が抱く願望。

こんな2つの願望を漠然と抱え、日々悶々としていた私は、高2に進級する直前、強欲にも「どちらもいっぺんに叶えよう」と考え、母にこのような頼みごとをしたのでした。

当時の私は成績も低迷しており、このくらいの対価がないと勉強を始められる気がしなかったので、自分を奮い立たせる意味もありました。母も冗談半分でしたが、それでも「本当に受かったら出来る限りのことはする」と約束してくれました。

 

この話をする前に、まず前提として、両親について触れる必要があります。

 

 

こんな具合に、オタク大学生の2人は学生結婚してしまいました。ということで母も18歳の子供がいる割にはまだ若く、妹を産もうと思ったら普通に産める年齢です。

しかし最大の問題点は、18年前に私が産まれてからしばらくして、いろいろあって2人が離婚してしまったところにあります。苗字は母子ともに父の家系のままですが、親権は母が得たため、現在では父親とはほとんど無縁になっており、連絡もついたりつかなかったり……。

そんな状態なので、母も「出来る限りのことはする」という発言に留めたのだと思います。人間が産まれるにはタネが必要ですからね。コウノトリさんは万能ではない。父と連絡がついて承諾してもらえるか、あるいは他の男性を見つけるか、そういったことが起きない限りは不可能です。

私も状況の難しさがすぐにわかったので、「うおおお妹つくってもらうぞォォォ」といった感じの意気込みも、2週間後には「まあできたらでいいよ、うん」程度にしぼんでいました。それでも、「伏線を張っておいて2年後に合格報告で回収したらめっちゃウケそうだな」という汚い思惑もあって、この計画を、Twitterも含めて周囲に積極的に話していくことにしました。

 

さて、時は流れ2年後。無事に東大に合格しました。文学部志望なので文科三類に決めたのですが、いざ入ってみると女の子がいっぱいいてすっごいこわいです(免疫のない男子校出身者並みの感想)。

合格報告ツイートは、2年前の"伏線ツイート"とともに各所で取り上げられ、雑誌やテレビ局から取材の申し込みが入るなど(恥さらしになってしまうので断りました笑)、「妹作ってやる」の件は想像以上に話題になったように思います。

 

さてここからが本題です。

大学の入学式直前くらいのタイミングで、「高校までの人脈も維持しつつ大学で新しい出会いを〜」といった、ごくありふれた理由でFacebookを開設しました。そして友人や親戚と繋がっていったのですが……。

 

父方の祖父(私は父自身とは疎遠ですが、父の家族には今でもよくしてもらっています)と繋がった際、友達一覧に、私と同じ姓の、見知らぬ女性がいたのです。

誰だろう。まさか……? と思いつつ、その女性のページに飛ぶと、私の父との結婚式の写真が出てきました。なんというか「幸せそうだなオイ……」って感じの写真でした。

そう。いつの間にやら、父は再婚していたようです。

 

さらにその後、数年ぶりに父から連絡がありました。「大学入学を祝って食事に連れて行きたい」といったものでした。おそらく、再婚した件もここで伝えるつもりだったのでしょう。いろいろと複雑ではありましたが、その食事を承諾し、感動ではないものの、親子の再会を果たすことになりました。

 

そこで見せられたのが、赤ちゃんの写真。今年産まれたばかりの娘だという。なるほど、確かに新しい奥さんは父よりもさらに若いので、子供が産まれるのも自然です。

……と、ここで大切なことに気づく。妹じゃね?

 

母は違うけれど、父親は一緒だ。ならば「腹違いの妹」じゃないか? 確かに血は半分繋がっているし、法律上結婚もできない。これもう完全に妹だ。

 

……そう分かったところで、正直なところ、あんまり素直には喜べなかったですね。唐突すぎるし、母親知らない人だし、一緒に暮らせるわけでもないしー……。

 

 

 

 

 

これまでの妹への願望ツイートたちが、走馬灯のように脳裏をよぎる。これだけ妹への意欲に溢れていたんですよ私は……。ずーっと、ずーっと存在しない妹への愛を語り続けて、しかも少しずつ確実に歪んでいって、最後に手に入れた時には「そっか……お幸せにね……」以外の感想が抱けない。

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しかし父にも父の人生があるわけですからね。こちらがどうこう言える話でもない。

でもきっと、再婚と2人目の子供の誕生の裏で、1人目の子供がこんなにアレコレと思い悩んでいただなんて、父には想像もつかないでしょうね笑。

 

 

【おまけ(というかこっちが本編?)】

妹の誕生日は1月17日。つまり2016年9月7日現在、7か月ということになります。

突然ですが、ここで問題。

1月17日の私は何をしていたでしょう?

 

 

 

センター試験を解いていた……ッ!

 

そう、「大学に合格したら妹を作ってもらう」つもりが、「大学に合格するための試験を受けている最中にいつの間にか妹ができていた」という予想だにしない結末だったのです。なんという偶然でしょう。

 

しかし、偶然はこれだけではありませんでした。

 

父「いやあ、東大かぁ(ユッケをかき混ぜながら)」

私「ははは……」

父「そういえば、東大で思い出したけど」

私「ほう」

父「ニュースサイトで見かけたんだけど」

私「(まさか)」

父「これこれ。この『えいちゃー』って人が、東大に入ったら妹を作ってもらうって約束してたんだってさ」

私「へー(心臓麻痺)」

父「この子も文科三類だから、もしかしたら会うことになるかもね。『私』って言ってるからたぶん女の子だと思うけど」

私「(気づいてはいない……その人が隣に座っている自分の息子だっていうことには気づいていない……)」

 

世界は狭いですね。皆さんも、親に妹を作ってもらうために東大に行く際は、ぜひ私の例を教訓にして、くれぐれも気をつけて下さい。

鬱病になったハム太郎bot 三回忌

自分語り

2年ほど前、Twitter上で「鬱病になったハム太郎botというものが動いていました。

twitter.com

というか、私が手動で動かしていました。もうbotでもなんでもねぇな。

 

自分で言うのもアレですが、当時そこそこ話題になりまして、更新を停止してちょうど2年経つ今日、久しぶりにサーチしてみても、直近数日間で話題に挙げてる人も見かけられて、意外と忘れられてないものなんだなぁと感動しました(作者はほとんど忘れてました)。

 

更新停止してから4日後の2014年8月10日、更新停止の旨と大まかなbotの経緯をツイプロフィールにまとめて、こっそりバイオグラフィ(自己紹介欄のこと)にそのリンクを貼り付けておいたので、気づいた人は読んでくださったのかもしれないですが、

もう三回忌になるんだし、そろそろもっと突っ込んだ裏話やら何やらを語っても時効だろう? 「くぅ〜疲れましたw」の如き作者の自己満足を許してくれ〜! という記事です。書く前からとりとめのない文章になりそうな予感がしますが、どうかご容赦ください。

 

 

 

 

【製作の経緯】

このbotの運営を開始したのは2014年7月1日でしたが、この時の私は高2でした。学校からの帰り道、駅に入る直前くらいに、ふっと突然思いついたのがこのbotだった、といったところでしょうか。動機は、大まかに2つ存在します。

 

まず最初に、鬱病への自己解釈を広く知ってもらいたい、ということです。

鬱病になった〇〇(キャラクター名)bot」というものは多く存在しますが、どれも発言が「死にたい」「自殺したい」といった死の渇望に集約されるといいますか、当時の自分は「どちらかといえばこれ『鬱病』とは違わないか……?」という疑問を抱えていました。

というのも私が高1の頃、母が鬱病を患って半年間ほど休職していた時期があり、母が家にいる間に鬱病に関するさまざまな情報・感覚・思考を教えてもらっていました。実際に鬱病を目の当たりにし、その人間と接することで、病気そのものに対する認識が大きく変わったことも確かでした。

そんなこともあって、実際に自分の見た鬱病と、Twitterで描かれ(やすい)鬱病の間に、ハッキリとした溝を感じたのでした。「自分の見た鬱病」は1ケースに過ぎませんし、知識は医学的根拠に基づいていたとしても、感覚・思考は人それぞれでしょう。必ずしもこれが正しい鬱病の像とは考えられないですし、おそらく「正しい像」なんてレベルにまで単純化できるほど甘い病気ではないでしょう。それでも、もし万が一にも「Twitterのほうの鬱病」が本物であると考えている人がいるのなら、その認識は危ないなぁと思いましたし、なんとかその人が考え、改める機会を自分に作れないかなぁとも思ったのでした。

 

もうひとつは、純粋にコンテンツとして見ても面白くなりそうだな、ということです。

せっかくbotを作るのであれば、みんなが広く設定を共有しているキャラクターを選ぶのが良いでしょう。それでも、アンパンマンやらドラえもんやら、あんまりメジャー過ぎても面白くない。インターネットでは、ほぼ100%に近い共有率を誇るネタよりも、70%程度の人に共有されるネタの方が、70%の人が積極的に取り上げ、結果的には広く行き渡るイメージがありました。

……そんな意味でハム太郎は適役だったのではないでしょうか。程よい知名度と懐かしさが両立しており、鬱病という設定とのギャップも充分。私自身それなりにハム太郎にハマっていた時期もありましたし、設定も把握できているつもりだったので、思いついた瞬間「これしかないな!」と半ば興奮しながらアカウントを作成したおぼえがあります。

 

 

【運用開始】

このbotは実際のところ7月1日〜8月6日までの1か月ほどで86ツイートをしたに過ぎないのですが、最初は長期的に運用することを考えていましたし、「長く親しまれる、知る人ぞ知るbot」くらいの地位になれれば理想だなーなんて思っていました。当初は、しばらく手動でツイートした後、特に反響の大きかったものをbotに登録して、あとは手を触れずに放置する予定でした。そんなわけで6つか7つほどネタを思いついた時点で、「あとは流れで思いつくはず」くらいの感覚で特に深いことも考えずに動かし始めたわけですが、なかなかフォロワーは増えません。さて、どうしたものか……となり、やや禁じ手ではあるのですが、自分の本アカウント(@EICEAR)からRTを行うことにしました。これがキッカケで、初日にフォロワーが1000人ほどまで増えました。

 初日では特にこれが拡散された印象でした。想像以上に順調な滑り出しだなーなんて素直に喜んでいた気がします。

 

そんな中、2日目だったでしょうか。「感情を失ったリボンちゃん」からのフォローを受けます。このアカウントの説明をば。

twitter.com

彼女(?)のユーザーページをよく見れば分かるかと思いますが、Twitter開始は2014年の4月です。ハム太郎よりも3か月ほど早いんですね。彼女に限らず、「ちび丸ちゃん」と「トラハムくん」も含めた3アカウントについては(後々「闇ハムちゃんず」などといった括り方をされたのを受けてそれぞれ「鬱病に絡まれるちび丸ちゃん」「テニサーのトラハムくん」といった具合に名前を変更したのですが)、元々は私とは何も関係のない、しかも私よりも早くハム太郎なりきりを行っていたアカウントでした。

私の後にも多くのハムちゃんずが誕生し、一部では「鬱病になったハム太郎の二番煎じ」なんて言われ方をされていましたが、とにかく強調したいこととして、この3アカウントに関しては私よりも早いですむしろ私の方が二番煎じです。

後々これらの中の人たちとも話をしたのですが、ハムちゃんず関連の話題にのぼる度、もしくは自分の想定とは違う期待やプレッシャーをかけられる度に、深く悩んでいるようでした。自分がこんなbotを作らなかったら、リボンちゃん達は巻き込まれることもなく、平和にTwitterを続けられていたのかもしれない……と思うと、今でも少し申し訳ない気持ちになります。

 

そんなこんなで、これら3アカウントと繋がり、さらに「無職になったタイショーくん」(のちに就職し「社畜になったタイショーくん」に改名)や「こうしくん」(中の人は知りません。鬱ハムよりもかなり昔からあった、個人的に好きなアカウントでした)と繋がることで、いっそう「闇ハムちゃんず」といったキャラクター付けが明確になりました。それも当初は計算のうちで、相乗効果によってフォロワーも増えていくだろうと考えていたのですが、これが自分の想定を遥かに超える事態を招いていくことになります。

 

 

【コンテンツ化の失敗】

もう完全に愚痴を言っているだけの項目です。醜いので飛ばしてくださっても構いません。

いま思えば、他のハムスターたちをフォローして「ハムちゃんずのコミュニティを形成しよう」とした時点で失敗を犯していたような気がします。それは上記のような、「先人たちに迷惑をかけた」というのもあるのですが、どちらかといえば、自分よりも後に登場したハムちゃんず達、そして業者による偽アカウントの大量作成のことです。

 

まず「自分よりも後に登場したハムちゃんず」について。ハムちゃんずの主要メンバーは15匹います。主要メンバー以外を含めると、100匹近くになるのではないでしょうか。つまり、「闇」設定を加える対象たるキャラクターは、いくらでもいるわけです。鬱病になったハム太郎botのフォロワーが3万、4万と増えていくにつれ、所謂「闇ハムちゃんず」と総称されたアカウントたちも数え切れないくらいにまで増えていきました。アカウント名はどれも「◯◯な××くん」といった具合です。そして、それらのアカウントは概して、「中の人」がそのまま見えてしまうというか、全く「なりきり」する気がないんじゃないのこれー……? って思ってしまうようなものが多かったです。「1ふぁぼごとに中の人の◯◯を晒す」みたいなタグを使ってみたり、挙げ句の果てに自撮りやリスカ痕を載せてみたり。……およそ、ハムスターの名を借りてフォロワー数を一定値まで増やし、そこで「自分」を見てもらうことが目的だったのだと思います。承認欲求がそのまま出てしまったパターンですね。その「承認欲求」なるものは私自身も正直かなりありますし、そうでもなければTwitterなんか続けていないわけですが、それでもその欲求の「捌け方」ってもうちょっと何かあるんじゃないかなーと思わざるを得ませんでした。

 

そして「業者」に関してなのですが、これについては本当に冗談抜きで死んでほしいというか、他人の文章をパクる等の不当な手段で金儲けする奴はTwitterに限らずインターネット全体の害悪だと思っているので、見つけるたびにすごくイライラしていた覚えがあります。「鬱になったハム太郎」「ハム太郎鬱になっちゃった」といった具合に名前を少しだけ改変したり、バイオグラフィも「あのハム太郎鬱病になっちゃった! そんなヤバすぎるハム太郎の日常を……」みたいな感じで、センス皆無なりに謎のオリジナリティを出してきているわけですが、ツイート内容は全文コピー&ペーストで構成されていて、しかも怪しげな広告を定期的に流すという、もう露骨な業者です。こちらも「とっとこハム太郎」という原作ありきの二次創作なので、このbotについて著作権を主張するだとか、そんなことはとてもできないのですが、それでも「最近めっちゃ面白いアカウント見つけた! 『ハム太郎鬱になっちゃった』ってやつw でも広告うざいんだよね〜」みたいなツイートを見かけるたびに「う〜ん……」と頭を抱えてうずくまることしかできませんでした。完全オリジナルじゃないと大々的に怒れないからつらいね。

 

 

【結末に向けて】

こういった二番煎じと偽物の大量発生のなかで、鬱病経験者の母にもbotの存在を打ち明け、細かいアドバイスを仰ぎながら、ない脳を働かせて次なるネタを考えていたのですが、7月の中旬ごろから、そろそろネタ切れだなぁという感覚がするようになっていました。初期には万単位でRTされたツイートがいくつもあったことを考えると、今後これを超えるモノを考え出せる気もしない。何より「闇ハムちゃんず」という括りで考えられているせいか、「全アカウント中の人が同じ」説など、(個人的に)好ましくないことが憶測で語られるようになっていましたし、きっと「中の人の存在するアカウント」というよりも「botというコンテンツ」として見られているような感触がしたので、おそらく長々と続けていてもオワコン扱いされるのが目に見えていました。

ふとツイート数に目を向けると、40と少し。せっかくならハム太郎の86(ハム)にちなんで86ツイートまで頑張ってみようと思ったわけですが、ここで「そういえばハム太郎の誕生日って8月6日だし、あと半月くらいか。1日2ツイートくらいのペースで動かしていけば、ちょうど8月6日に86ツイートに至るな」と気づき、ククク……せっかく停止するなら意味深な結末にしてやろう……と悪戯心がくすぐられ、この結末に向けて日々ツイートを絞り出す「作業」が始まりました。

7月の第2週のフォロワー増加数ランキングが日本2位(フォロー&RTキャンペーンを行っていたセブンイレブン・ジャパンや前田敦子大島優子より上)(ちなみに1位は木崎ゆりあでした)だったり、有名人からフォローをいただいたり、そんなエピソードをちょっとした自慢とモチベに変換しながらツイートを続ける、そんな感じだったような気がします。

ちょうど高2の夏休みは、秋に控えたバンドのコンサート用の曲を採譜したり、あるいは数名の友人と企画していたとあるイベント用に何曲か作ったり、主に音楽方面で忙しかったので、やっと暇になったのが夜の11時……なんてことも多く、そこから日付が変わるまでにツイートをふたつ考えるという憂鬱な作業となりました。実際にbotを遡ってみると、日付変更の前後くらいのタイミングでツイートしているものが多いのが見て取れると思います。

こうして、なんとか凌ぎに凌いで、8月6日を迎えることになりました。

 

 

【結末と蛇足】

自分のなかで、鬱病になったハム太郎botの結末は「鬱の寛解」でした。7月の後半ごろから、「鬱を抱えながらも少し前向きに物事を考えようとする」「自分の心の営みを内省によって理解しようとする」、そんなプラス思考な発言が少しずつ増えていったのに気づいた人もいたかもしれません。

そこで、最後の86ツイートめに選んだ文言は「生まれてきてよかったのだ」としました。自分の生の肯定であり、自分の存在の肯定。そんなハッピーエンドを端的に示す文言を考えた結果の12文字です。

せっかくなら時間にもこだわろうと思い、午後8時6分にツイートすることにしました。しかしこの日の8時6分の私は、ピアノのレッスンの真っ最中でして、まさか「ツイートしたいんで」と言ってピアノ上の指を止めてスマホ上で動かし始める、なんて失礼なことはできません。そこで、最後のひとことは、家にいる母に送信を頼むことにしました。このbotを作るキッカケのひとつであり、いろいろとアドバイスも乞うた母。大役を引き受けてくれてありがたいですね。

(余談なのですが、「8時6分にツイートボタンを押すだけでいい」と文面を入力した状態で母にスマホを渡したのち、母が間違えてその文面を消してしまい、慌ててもう一度入力し直したそうなので、もし12文字という短いツイートでなかったとしたら、私のやりたかったことが実現せずに終わっていたかもしれないです)

 

こうして鬱病になったハム太郎botは、最高58500フォロワー、平均RT3000というなかなか狂った数値を残して終了しました。バイオグラフィも「楽しくなる明日なんか存在しないのだ」から「明日はきっと       」に変更しました。「きっと」の後に続く7文字の空白は、自分としては「楽しくなるのだ」という、原作通りのハム太郎のセリフを当てはめるつもりでしたが、それも露骨に示してしまうとつまらないので、7文字ぶんの自由解釈スペースとして設置しました。2年経っても空白に触れた人は1人もいなかったので、たぶん私のやり方がわかりづら過ぎましたね……。

空白もそうですが、「誰か気づくかな〜」と半分遊びで考えた"ウラ設定"みたいなものって、どうしても作者の独りよがりになるのか、意外とみなさん気づかない場合が多いんです。停止してから4日経っても、「鬱ハムの呟きがない」「死んだのかな」といった声は聞こえても、誰も86の秘密には気づいておらず、憶測による議論が飛び交っていました。あれこれ悩んだ結果、こっそりツイプロフィールに大まかな解説を載せる、という方策を取りました。86の秘密はここにも書かれていますが、「寛解」というエンドをこちらから提示するのはあまりにも無粋に感じたため、最後のツイートが何を意味するのかは示さないままにしました。おかげで「鬱ハムは誕生日に自殺した」という説の方がメジャーになってしまいましたけど(笑)。

ツイプロフィールについては「自分語り乙」といった声もありましたが、正直その通りなので何も言えませんね。今から考えれば、もう少し待つべきだったのかなぁとも思うし、あれは蛇足だったとも思います。2015年に入ったあたりでバイオグラフィからプロフィールへのURLをこっそり削除したのも、そういった考えの変化によるものです。

 

 

なんだか、記事を書いている間に8月7日になっていました。三回忌終わっちゃった……。

えっと、昨日はハム太郎の誕生日を祝ってケーキを食べに行っていました。もちろん昨年の8月6日も祝いましたし、母も一緒です。「『露骨にポジティブな発言』は得られるものがない」といった意見を見たことがありますし、私自身もあまり好きではないのですが、こう美味しいものを食べて、楽しい話をしていると、何やら体の底から湧き上がってくる高揚感が心地いいです。こんなヘンテコな思い出話に、チョコレートケーキを添えて。生まれてきてよかったのだ。

「ぽきたw 魔剤ンゴ!?」を文法的に考察する

コラム・エッセイ

【原文】

ぽきたw 魔剤ンゴ!? ありえん良さみが深いw
二郎からのセイクで優勝せえへん? そり!そりすぎてソリになったw
や、漏れのモタクと化したことのNASA✋ 
そりでわ、無限に練りをしまつ
ぽやしみ〜

 

この状態では、解読するのは難しい。そこで、"オタク的仮名遣い"を"現代仮名遣い"に修正し、「ンゴ」等の意味を持たない文字列を消して考える。

 

 

起きたw 魔剤!? ありえない良さみが深いw
二郎からのセイクで優勝しない? それ!それすぎてソリになったw
いや、おれのオタクと化したことの無さ✋
それでは、無限に練りをします
おやすみ〜

さらに、用語を現代語へと訳していく。

起きたw 本当!? ありえないほど良さの程度が甚だしいw
ラーメン二郎を食べてからの酒で幸せな気分にならない? それ! それすぎてソリになったw
いや、おれのオタクと化したことの無さ✋
それでは、無限に寝ます
おやすみ〜

 

文末が形容詞で結ばれる場合は形容詞で訳し、体言止めをそのまま残すなど、原文の雰囲気を殺さないように訳したつもりである。また、「それ」などの、複数の現代語にまたがるニュアンスを持った用語は、あえて翻訳しなかった。「ハッキリとそれに対応する日本語」が存在しない英単語があるように、ハッキリと日本語に対応しない日本語も存在するのである。

 

 

それでは、一文ずつ文法を考察していく。

 

 

 「ぽきたw」

「起きた」の頭にpの発音が付いた形。定説では、「パ行」は一時的に日本語から抹消されたのち、ポルトガルが東アジアに進出した16世紀以降、外来語の発音を再現するために再び用いられるようになり、江戸時代に定着したものとされる。すなわち、擬態語などを除けば、日本古来の言葉に「パ行」が使われることは、まず無いという。以上より、「ぽきた」は外来語を意識した活用である、と考えるのが妥当であろう。アルファベットの"w"が使用されている点もまた、外来語の影響を強く受けていると言えよう。

 

 

「魔剤ンゴ!?」

「本当!?」の変化形。「ンゴ」は接尾辞のようなものであり、それ自体に意味を持たないうえ、何らかの言葉を呼び出す働きもない。

「魔剤」が「マジ」から転じた言葉であるのは言うまでもないが、その「マジ」の起源は江戸時代後期。「真面目」から「マジ」へと変化したのだという。先ほどの「ぽきた」のパ行も江戸時代に定着したものであることを踏まえると、「ぽきたw 魔剤ンゴ!?」は、"外来の言葉"と"日本独自の言葉"を織り交ぜた、江戸情緒あふれる一文である。

 

 

「ありえん良さみが深いw」

「ありえん」は「ありえぬ」の変化。これは「ありえん(形容詞)→良さみ(名詞) が(格助詞) 深い(形容詞)」という、形容詞のかかった主語をさらに別の形容詞で説明する構文となっている。「ありえん」は「良さみ」、すなわち「良さの程度」を強調しているのだから、「ありえないほど良い」と捉えるのが妥当である。「深い」もまた、良さの「程度の甚だしさ」を表していると考えられる。

ここで問題となるのが、「良さみ」という主語である。「良さ」は、それ自体で完結した名詞である。それに「み」が付くとはどういうことか?

「さ」は、全ての形容詞・形容動詞の語幹、及び一部の程度性名詞、並びに一部の程度性副詞の語幹に付くことができ、外的な属性又は程度を表す。

「み」は、限られた形容詞とわずかな形容動詞に付き、そのものの内的な属性又はその場所・位置を表す。

簡単に言えば、「さ」は外的・客観的な、「み」は内的・主観的な要素を表すということである。

すなわち、こういうことだ。「良さ」のみでは、客観的事実を述べたに過ぎない。ここであえて文法を無視して「み」を付け加えることで、主観的な「良さ」のニュアンスをも得る。「良さみ」とは、「客観的に考えても『良い』ものであり、それは自分の主観においても『良い』。絶対的に『良い』ものである」という、説得力のみならず強い感情の潮流を感じさせる表現なのである。

 

 

 二郎からのセイクで優勝せえへん?

「二郎」。これは言わずと知れた、ラーメン二郎を指す。

「セイク」は酒を指す。酒のローマ字表記である"Sake"を英語として発音したものと考えられるが、Sakeは「〜のための」という不可算名詞としての意味を持つ英単語である。Weblioによるとこれは「高校2年以上の水準」の単語であり、セイクを飲む年齢の人たちにとっては、おそらく当たり前のように知っている単語であろう。つまり、「各々がSakeという単語の本来の意味を知りつつも、あえて『酒』の隠語として用いる」という、ある種のエスプリを感じさせる言葉遊びである。

「優勝」という言葉は、非常に解釈が難しい。が、後述の「そり」の現代語訳である「それ」に比べれば、用法も限定的であり、翻訳可能な域である。

もちろん「優勝」したからといって、何らかの大会があったわけではなく、強いて言えば、それは精神的な満足感、優越感、多幸感……こういった類のものなのである。

 

 

「そり! そりすぎてソリになったw」

今回の考察において最大の不条理さを誇る一文である。

まずは、「そり」の変化前の形態と思われる、「それ」という語の定義から考える。本来は中称(少し離れた場所にあること)の指示代名詞である「それ」。しかし近年では、もはや「それ」自体に"同意"の意味が含まれるようになった。英語では"I agree"といったところか。

次に、「それ」→「そり」という変化について考える。調査していくと、江戸時代から主に九州地方で用いられている「そりばってん」という方言に行き着く。これは「そうだけれども」という意味を持ち、「けれども」に該当する語が「ばってん」であることから考えるに、「そり」が「そうだ」に該当し、今回の文章に近い意味を持つ。

しかし、ここでもう一つ、古典文法的に解釈した自説を提唱したい。

「それ」という言葉は、はじめ文中に存在していた係助詞「こそ」による"係結び"で、終止形の動詞「そり」が已然形「それ」へと変化したため生まれた、というものだ。つまり、「そり」はラ行変格活用の動詞であり、元々終止形として用いられていたその動詞を、我々が慣習的に「こそ」とセットで扱ううちに、已然形「それ」として用いるようになったという説である。

その後「こそ」が消失し、「それ」単体で代名詞的な意味を獲得するようになったものの、2016年、古典文化の復興を願うオタクたちによって、再び「そり」という動詞原型で用いられるようになった……という話。

このように解釈することで、次の「そりすぎて」も説明がつく。

「すぎる」は、「接尾語的な用法もある動詞」であり(新明解より)、動詞の連用形の後に付いて、複合動詞を形成する。「そり」をラ行変格活用の動詞と仮定すれば、「すぎる」に接続するための連用形も、終止形と同じく「そり」であり、「そりすぎて」が文法的に正しくなるのである。

「ソリになった」はそのまま、ソリになったのであろう。ここに文法的な疑問点は存在しない。

 

 

 

「や、漏れのモタクと化したことのNASA✋」

「漏れ」「NASA」の二語に関しては、それぞれ「俺」「無さ」の、よく知られた別表記である。

「や」は、「いや」のiが発音されないもの。

似た事例を調べていくと、kの例(knowなど)や、hの例(honestなど)はすぐに見つかるが、iが発音されない例は見当たらない。逆に「漏れ」「モタク」などに関して、mが付随される発音例も見当たらない。

そこで、発音的な解釈ではなく、文法的な解釈へと昇華させてみる。何かしら特殊な形の文章を表記する際、「文頭が母音の場合はそれが省略され、文中のoが全てmoへと変化する」という"オタク文法"が存在するのかもしれない。この文章の特殊性は何処にあるか? というと、「NASA(無さ)」で文を締めくくるという「体言止め」である。体言止めをする際、オタクはこのような文法に従うのであろう。

 

 

「そりでわ、無限に練りをしまつ」

「そりでわ」は、「それでは」に前述の「そり」が適用され、さらに「は」を「わ」に変えたものである。「そり」は既に解説したので、「わ」について考えてみる。

古代では、「川」を「かは」と表記し「kaha」と発音しており、「は」を「wa」と読めるようになったのは10~11世紀以降である。その後このような"表記と発音とが一致しない時代"が長く続き、昭和21年になって、政府が「『は』は、副助詞として用いられる時のみ『wa』と発音され、それ以外では『ha』である」と定めた。

ここで前述の事項を思い出そう。オタクは古典文化の復興を願っている……と。

「そりでは」と書いて「soridewa」と読むのは、10世紀以前の「表記と発音とが一致する日本語」とはかけ離れたものであり、古典文化を至上とする彼らにとっては、あまりにも「今風」である。世間的には「でわ」が誤用とされるが、世間が間違っているだけである。自らの正しさを示すため、あえて誤用のように思える表記法を採用しているのだ。

「無限に練りをしまつ」について。この文章は一般的に「無限に寝ます」の意味で捉えられているが、「ねり」には様々な意味がある。「ねりをする」で「大便をする」の隠語となるし、「練」を「ねりす」と読むことで「賭博をする」の意味にもなる。これらは全て"隠語"であるため、「寝る」の意味で用いられる「練りをする」もまた、近いベクトルの新しい隠語であると考えるのが自然であろう。

「します」が「しまつ」に変化したのは、ローマ字的に解釈すれば「su」が「tsu」に変わったのであるが、やはりこれも発音的解釈よりも文法的な解釈を加えたほうが分かりやすい。この一文は、唯一の「丁寧語文」である。オタク文法では敬語を使用する際、文末の文字がア行またはサ行であれば、tを付けるルールがあると考えられる。文法とは、長い年月の中で、その言語の用いられる界隈で合理化・最適化されたものである。それは「である」の論理に立っており、深い意味は存在しないのだ。

 

 

 「ぽやしみ〜」

「ぽ」は、「ぽきた」と同様、外来語を由来とする発音である。

「す」が「し」に変化しているのは何故であるか。これも文法事項、と言ってしまえばそれまでであるが、この一文に大した特殊性はなく、文法の一言で片付けてしまうのはナンセンスだろう。

ここで私は、ある事実に気がつく。Twitterを観察していると、「おやすみ〜」の意味で「ぽや〜」とだけ言う人も一定数いるのである。

こう考えてはどうだろうか。「眠い」「もう寝たい」といったニュアンスを持つ形容詞「ぽやし」に、前述の内的・主観的な「み」を付けたのが「ぽやしみ」である……と。

形容詞で「〜〜し」という活用をするのは、現代では見当たらない。現代の形容詞は「語幹+かろ・かっ・く・う・い・い・けれ」であり、「語幹+く・く・・き・けれ」は古語的な用法である。しかしこれは、「オタクが古典文化の復興を願っている」という仮説を、さらに強固なものにする証拠となるのではないか。

何らかの感情が現れた時、我々は形容詞を語幹のみで使う傾向がある。重いものを持った時は「重!」と言うし、痛い時は「痛!」と言う。眠くて眠くて、もうどうにもならない時は、「ぽや!」とでも言うのだろう。眠気が内的・主観的なものであることを考えると、最後に「み」を付けるのも妥当である。

 

 

以上より、「ぽきたw 魔剤ンゴ!?」に始まるこの文字列は、古典的要素をベースとしつつ、江戸や明治などの近現代の言葉、さらには外来語の発音すらも取り入れた、構文ごとに複雑な文法を持つ美しい言語体系を表しているのである。

これまでにボツになったゲーム案たち

エンタメ

わりと下品な部分の多い記事です。あらかじめご注意ください。

 

 

そういえば、高校時代の友人らと、こんな約束をしていました。

 

「大学受験が終わったら、みんなで一緒にゲーム作ろうな!」

 

私を代表者とする9人の製作陣が、何らかのフリーゲームを制作し、公開する。そんな

学生らしい約束です。

はい。約束を灰色で表記した時点で、もう察しはついているかと思います。大学受験が終わったのは9人中3人でした。

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「ゲーム構想を語り合うのに熱中しすぎた」というのも、遠因かもしれません。ドリンクバーだけでサイゼリヤに9時間居座り続けて、どんなゲームを作ろうだとか何だとか延々と語り合ったり、それが解散したと思ったら今度はLINEで延長戦に突入したり。

ということで、現在は現役生3人で計画を始動させています。来年になったら残りの6人が合流してくれることを祈るのみ、という感じです……。

さて、そんなゲーム構想の段階で、様々な案が提出されました。基本的に「なんか考えついたら投げろ。吟味は後」というスタンスだったためか、おそらく両手どころか両足と歯を足しても数え切れない量になっていると思います。

そんな中から、個人的に特に印象に残ったボツ案を紹介してみよう! というのが今回の記事になります。

 

 

 

  • ニューゲームすると『あなたの名前を入力してください』と言われ、言われた通り入力するとゲームが始まるものの、出てきた主人公は全然違う名前で、最初に登場する雑魚モンスターの名前がさっき入力した自分の名前になっているゲーム

主人公の名前を本名で登録するタイプの人が全員ディスプレイの前で呆然とする仕様。君は自分を殴れるか。自分を超えていけるのか。何十、何百もの"君"が、なんかよく分からない名前の主人公にゴミのように殺されていく凄惨な光景に、君は目を覆う。

このゲーム案をなんとなくツイートしたところ、2万以上リツイートされ、「もうここまで知られたらマジで導入するしかなくない!?」みたいな状態に追い込まれかけましたが、さすがにドクターストップをかけました……。ごめんね……。

 

 

  • エロシーンになるたび画面に図形が表示され、そこに如何にしてエロスを見出せるかという哲学的エロゲ

ノベルゲームを作ってみたい! でも萌え絵の描けるイラストレーターがいない! という状況から生まれた苦肉の策でした。

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象徴的に表されるR18シーン。この画面に「あっ、んっ……あっ、ああっ……くっ、んっ……あ、あぁん……ひぁあっっ!」などの喘ぎ声が表示されるわけです。狂気。

 

 

  • 「露出度の高い服」「やたら長い髪」など、ゲーム世界にありがちな「戦闘では明らかに合理的でない要素」を全て取り除いた結果、丸刈りの坊主しか登場しないゲーム

ゲーム世界のキャラって、やたらと露出度の高い服を着ている場合が多い気がします。もはや服というより布じゃない?? 絶対「ただのぬのきれ」装備だよね??と聞きたくなるような場合すら。

"そういう層"を対象としたゲームに限るのかもしれないですけど、特に女性キャラは、もう露出が前提になっているような気さえします。

もちろん、男性キャラでもちょくちょく露出はありますね。

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たとえば戦国BASARA真田幸村さん。ビジュアルとしてはめちゃめちゃカッコいいですけど、どう見ても正面から腹部を刺されたら即死じゃないですかこれ……。

しかも髪が長い。戦いにおいて、髪が長くていいことって何もなくないですか?

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合理的に考えたら、断髪するべきです。

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こうして武双山は坊主になりました。

坊主は、良い。視界を遮るものがない。戦いの全てを可視化できる。現に、坊主となった武双山は、藤島審判副部長として、相撲という"戦い"を見つめているわけです。もうこれは坊主最強説を認めざるを得ない。

では衣服の問題はどうだろう? 軽装と重装、双方に利点があります。重装は鎧を着込めばよし。軽装は、究極的には全裸です。全裸以上に動きやすい格好はないでしょう。

以上より、「フルアーマー坊主および全裸坊主が合理的に世界を救っていく物語」が結論づけられました。誰がやるんだよ。

 

 

あれ、そんな感じのゲーム既になかったっけ? と思った方は、けっこう物知りだと思います。

http://www011.upp.so-net.ne.jp/hiroiro/enzai.swf

随分と昔、こんなFlashゲームが流行りました。

しかし我々の作る痴漢シミュレーションゲームは、ひと味違います。さまざまな「特性」を持つキャラクター達を車内に配置し、実際に冤罪から逃げ切るまでをシミュレーションするゲームです。

まずはメニュー画面から、車内に人を配置します。ストラテジーゲームです。

【女】痴漢されたと勘違いし、標的を捕まえようとする女性。冤罪の標的となる男性は、女性の周囲に配置された人からランダムで選ばれる。

【正義漢】自身の正義感から標的を捕まえることに協力してくる男性エネミー。車内に3人を配置しなければならない。

【ヤンキー】やたら足を前に突き出して座っているため、前を通った者は転ぶ。

【ホモ】女性の周囲に配置した際、「俺はホモだ!」と言い冤罪を免れることができる。

……他にも色々と役職を考えた気がしますけど、だいたい忘れました。ようは各役職を車内にうまく配置することで、冤罪の餌食となってしまった人を逃がしてあげよう! というものでした。学校からの帰りの電車内で考えたのですが、誰も作ろうとせずボツに。

 

 

  • RPGツクール買ってとりあえずラスボスイベントだけ作ったものの、そこで飽きて投げた人々」によって捨て去られたそのラスボスたちが、愚かなるツクラーに復讐するゲーム

読んで字の如くです。「RPGツクール」とか、「Wolf RPG Editor」とか、プログラミングのできない人でもゲーム開発できるツールがあるわけですが、これらをインストールした際に多くの人がやること。

「とりあえず、ラスボスイベント作ろう」

こうして、デフォルトで入ってる素材から、宇宙とかそういう系のカッコイイ背景画像を設定して、1番仰々しいグラフィックのモンスターにそれっぽい名前をつけて、それっぽい主人公パーティを最初からレベル60くらいで設定して、"ラストダンジョンの最深部"から開始するゲームを作るわけです。いやあ、実話は説得力が違いますね……。

こうして完成したラストバトルのみのゲームは、何回かラスボスを倒すと飽きます。時間にして30分くらいで飽きます。そして、「このラスボスに"物語"を与えてやる気力なんか……ないよ……」「でも、せっかく作ったイベントを捨てるのも……勿体ない……」というジレンマに頭を抱えるようになり、最後はゲーム開発そのものを放棄してしまうわけです。書いててすごく悲しくなってきたよ……。

というわけで、そんな「"物語"も与えられぬまま、主人公たちに何度も倒され、挙句に忘れ去られていった」というあんまりな扱いのラスボスたちが、その無責任なツクラーに復讐くらいしたってええやないか! と自戒も込めて考えたゲームでした。ゲーム中の敵は雑魚も中ボスもラスボスも、全てラスボスです。なんだこの一文……意味わかんねえ……。

 

  • カトリック」というモンスターと「プロテスタント」というモンスターが同時に出現し、プレイヤーそっちのけで互いに殴り合い続けて自滅するゲーム

これは私が中1の時にRPGツクールで開発していたクソゲーに実際に導入された仕様でした。たぶん宗教対立の話を何かの本で読んだか、学校の授業で聞いたかで、なんちゃらの一つ覚えな知識をアウトプットしてやりたかったのでしょう。それにしても、我ながら中1とは思えないブラックな風刺だな……。

最終的にこのゲームは完成せず、はじめての挫折となりました。(これまでに計10数回は挫折しています……)。

 

 

こちらはもうゲーム開発というより、パーティーゲームで導入したローカルルールです。

人狼というゲームがありますね。夜のターンに狼がこっそりと村人を食べ、昼のターンに「占い師」「霊媒師」などの特殊能力を助けにしながら、狼が誰なのかをみんなで推理していくというゲーム。

これを部活の合宿中にみんなでプレイした時、人数調整の都合から「少女」という役職が導入されました。ローカルルールによってまちまちのようですが、合宿では「夜中にこっそりと覗き見ができるが、人狼に見つかったらその時点で死亡する」という特殊能力でした。

ところがどっこい。「少女」がいるなら、「ロリコン」も導入するべきじゃないか? というクソみたいな意見があがりました。私があげました。

そうして考え出された新役職「ロリコン」。

特殊能力:2日目の夜に誰かを選んでレイプし、それが少女なら単独勝利。ただしそれが少女以外だったらエイズにかかって翌朝死ぬ。

もはや人狼にとっても村人にとっても早急に始末したい役職です。怖い。第三勢力として怖すぎる。

そもそも「少女なら単独勝利」の「勝利」って、もう精神的な勝利以外の何物でもないですね。というか少女以外全員エイズの村は早く滅んだほうがいい……。

なお、このルールを導入して行った人狼3回のうち、2回はロリコンの単独勝利となりました。ゲームマスターが「ロリコンの勝利です」と高らかに宣告する地獄絵図が現出されました。

 

 

こちらもローカルルール系。ウィンクキラーというゲームがあります。人狼と並んで有名なパーティーゲームだと思います。みんなで円形に座って、「犯人」役の人は他の村人に気づかれないように、目が合った人にこっそりとウィンクして、1人ずつ殺していくというものです。

しかしこのゲームをやろうとすると、必ず出てくる「ウィンクできない奴」。

彼ら抜きで遊ぶのも申し訳ない。しかしウィンクのように明確なサインじゃないと、まばたき等では勘違いによる誤殺事故が起きかねない……。

そこで導入されたのが、アヘ顔殺人です。

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pixiv先生によるアヘ顔のイラストつき解説。非常にわかりやすい。

犯人は村人にアヘ顔を見せつけていく。目が合った人がアヘ顔を見せた場合、村人は死ななければならない。彼が見た死の淵の走馬灯は、クラスメイトのアヘ顔によって中断されるのだろう。なんて浮かばれないんだ……。

(いちおうことわっておきますが、私が中高時代に通っていたのは男子校です。JCやJKのアヘ顔鑑賞会とか、そういうオイシイ要素は全くありませんでした。ちくしょう)

 

 

 

 

 以上です。みんなも最低なゲームを考えていこうな!!