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えいちゃーろぐ!

不定期で更新していきます

きれいな文のつくりかた 2

「明日あたり気力があったら」と言ってから1週間ほど経ちました。こんにちは。気力がありませんでした。

 

さて、前回の続きで、「文章のリズム感」について書き綴ろうと思います。「声に出して読みたいリズム」の堆積こそが淀みなく読める文章なんじゃないか? という話です。特に長文よりも短文、もっと言ってしまえば私が稀にコピーライトのような"超短文"を考えるお仕事をする際に気をつけていることです。

 

結論から言うと、やっぱり人間って4拍子がいちばんノリやすいと思います。ンッタッタッタってやつ。本当のところ私自身もよくわかっていないというか、人によって感じ方はさまざまだとは思うのですが、この"ノリ"は文章を読むときにも同じことが言えると考えています。声に出してみて、4拍子で楽しく読める文章はリズム感がいい。読みやすい。

「じゃあ4拍子って言っても具体的にどんな音符が並ぶの? 8分音符? 符点16分?」という疑問は当然あるでしょう。本当は自分でお気に入りのリズムを探すのがベストだと思いますが、せっかくなので、私が気に入っているリズムを列挙してみます。

 

 

(4文字)+(4文字)

「何しやがるんだ」「お前ら許さん」「全員まとめて」「成敗してやる」

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4拍子なので当然とてもよく合います。畳み掛けるような勢いのある文章になりますね。どこかで休憩したくなったときには、次の(3文字)+(4文字)を使ってみてください。

 

 

(3文字)+(4文字)

サウジアラビア」「金を落として」「社会貢献」「家で死にたい」

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名詞に多いパターンかもしれません。これは8分休符がひとつできますね。ここに「を」とか「が」とかをブチ込めば、4拍子に沿って文章が休みなく続いていきます。前述の(4文字)+(4文字)と組み合わせてうまく使ってください。

 

 

(3文字)+(3文字)+(4文字)

「ぼくのパパは父さん」「ひとの履いた靴下」「部屋の中が血まみれ」「世界知ったその時」

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拍の頭さえ揃っていればリズムは崩れないので、「世界知ったその時」の「知った」のように、3連符たちは自由に間引いてしまっていいと思います。体言止めに向いたリズムでしょうか。

 

 

(3文字)+(2文字)+(6文字)

「君はきっと立ち向かえる」「見栄を張ったイキリオタク」「首を吊って詫びてくれや」「床を蹴ると食事が出る」

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上記の(3文字)+(3文字)+(4文字)のパターンを接続の便宜から改造したものです。後に文を続けるにも都合が良く、体言止めをしてもパワーがある、なかなか良いリズムだと思います。

ちなみに「床を蹴ると食事が出る」のように(3文字)+(3文字)+(6文字)でも綺麗に聞こえますし、もっと言えば(3文字)+(3文字)+(3文字)+(3文字)という3連符の連続でも問題ないのですが、個人的な感覚では(3文字)+(2文字)+(6文字)が最高の語感を与えてくれるような気がしています。

 

……いろいろ書きました。じつは記事タイトルの「きれいな文のつくりかた」も4拍子です。内容的には「きれいな文章のつくりかた」の方が合致しているのですけれど、リズム感を重視してこうなりました。

それと、「の」「つくりかた」といった具合に平仮名が連続している問題(きれいな文のつくりかた 1 - えいちゃーろぐ!参照)に関しては、「『つくりかた』は定型的な文字列として見慣れている人が多いから、きっと読み手は名詞として抽出できるし、『の』と繋げて読まれることはないだろう」なんて考えたり、あれこれ自分なりに工夫したつもりです。しょせん我流なので、これが正しく機能しているかなんてサッパリですが……。

ともかく、基本は4拍子に沿っていればリズム感が崩れることはないので組み合わせは幾らでもありますし、もはや4拍子じゃなくても楽しいリズムはいっぱいあるので(「楽しいリズムはいっぱいあるので」も4拍子ですが)、いろいろ探してみると面白いかもしれません。コピーライトやキャッチフレーズなら3拍子も映えますしね。

偉そうに書いてすみませんでした。少しでも参考になれば幸いです。

 

きれいな文のつくりかた 1

きれいな文章が書けるようになりたい。でも、そもそも「きれいな文章」ってなんなんだろう?
そんな話を自分なりに考察したので、何回かに分けて書いていこうと思います。

 

……さて、上の文章では自分なりの「きれいさ」を心がけたつもりだったのですが、どうだったでしょうか……。具体的に何を心がけたかというと、「文字の並び」と「リズム感」のふたつに集約されます。今日は「文字の並び」についてお話しようと思います。

(寝る前にスマホから打っているので、このブログ自体が読みづらい文章になっている可能性は非常に高いです。ごめんなさい。)

 

さて、上の文中には「なんなんだろう」と「何回かに分けて」の2フレーズが存在しますね。前者は「なに(なん)」を平仮名で書き、後者は漢字で書いています。なんで使い分けるんや? といったら、「なんなんだろう」は"how"に近い抽象的なニュアンスを、「何回かに分けて」は"some"に近い具体的な数量を感じたためです。このように、私はその言葉の役割を感覚的に捉えたうえで、どれに変換するのがベストかを考えるようにしています。
同様に、「1回」「いっかい」なんかも使い分けが可能です。1という数字をわざわざ指定している場合(「ハンドルを1回右に回す」等)は英数字や漢数字での表記が望ましいですし、「いっかい自分でやってみろ」といった具合に、べつに2回でも3回でもいいからとにかくやってみてほしい場合は、ひらがなを使う方が自然です。もっとも、「一」に関しては漢数字だと伸ばし棒と混同しやすいので、専ら英数字を使うようにしていますけれど。
さらに例を挙げれば、「大人」「オトナ」といった使い分けも存在しますね。一般的には「大人」と漢字で表記するのが当たり前ですが、たとえば7歳くらいの子供が漠然と「オトナって、いいなぁ」なんて言うときは、ひらがな以上に抽象性を強調するように感じられるカタカナ表記の方が、なんとなくしっくりくるのですね。オトナがナニモンなのか、ぜんぜん分からないんだもの。
日本語は3種類の文字が存在します。英語や英数字を含めるともっとです。だからこそ、こんな具合に読みやすい配置を考えておくだけでも、言語の特性を上手く活かせるというか、きれいな文章に近づくような気がします。

 

……が、そんなことより遥かに大切だと思うのは、単語の区切りが分かりやすくなっていることです。こっちの方が実践的で、今日から使える理論のような気がします。

 

また上の文を例に取ってみましょう。

「でも、そもそも『きれいな文章』ってなんだろう?」

もしこれが「でもそもそもきれいな文章ってなんだろう?」だったとします。「でもそもそも」の辺り、『も』がいっぱいあって読みづらいですね。平仮名や漢字が文中で連続する場合は、語順を変えてみるか、(前述の"感覚的な使い分け"とケンカしない程度に)表記を漢字やカタカナに変えてみるか、それがダメなら黙って読点を打ってしまうのが吉だと思います。「どこまでが1つの単語なのか」が明確なだけで、ものすごく読むのが楽になると感じられるのです。

次に「きれいな文章」をカギカッコ付きにした件ですが、文章中で取り扱っている主題は何らかの手段で強調するのがよいかと思います。ちなみに、ここのカギカッコは「そもそも」と「きれいな文章」で平仮名が連続してしまうのを避ける役割も果たしているため、一石二鳥という感じでした。
カギカッコ以外にもQuotation Mark(" "のことです)を使うこともあって、"何らかの具体的なワードに対応していないものの、重要な概念として強調しておきたいフレーズ"を囲ませることが多いように思います。その辺りは個人の感覚もあると思うので、参考程度に……という感じです。

 

また明日あたり気力があったら、次回は文章の「リズム感」を中心に書いてみようかなと思います。あくまで素人大学生が勝手に考えていることを綴っているだけなので、そんなに期待せずにお待ちいただければと思います。おやすみなさい。

新入生必見! 東大で簡単に死ぬ7つの方法

1.「頼れる人」を演出する

入学早々、「みんなのリーダー的存在」みたいなポジションを狙おうとして、あるいは単純にモテようとして、面倒なクラス役員などを引き受けようとする人が必ず出てきます。クラス役員にならずとも、オリ合宿(注:東大は入学直前、クラスの親睦を深めることを目的とした旅行に行く)で他人の世話を焼いたり、夕食で鍋奉行になったりしようとする人が必ず出てきます。やめておきましょう。本当に頼られます。利用されます。十中八九は後悔します。無能感を前面に出した方が何も押し付けられずに済みます。

 

2.昔なじみと絡み続ける

特に進学校出身だったりした場合、入学時点で既にキャンパス内には知り合いがいっぱいでしょう。そんな昔からの気心の知れた友人とばかり絡んでいても、既に完成されたコミュニティに踏み込んで行こうとする人は多くありません。せっかくあなたに興味を持ってくれた人も、絡みに行くのを諦めてしまうかもしれないですね。

 

3.学問を語る

試しにキャンパス内で「いや、数学ってこういうものでしょ」みたいな談義をしてみましょう。あっ、ちょうど数学オリンピック経験者がすれ違いました。どうやら数学談義に気づいたようです! おもむろに胸ポケットから金メダルを取り出しました! ああっ、撲殺ッ! いい加減な数学談義に突如として振り落とされた鮮黄色の鈍器ッ! 目を覆うような惨劇ッッ!! プロとは、プロとはこんなにも残酷なのかッッ!!

 

4.知的好奇心を至上とした履修を組む

そんな好奇心は2回目の授業あたりでだいたい消えます。4回目くらいには本人が「もっと楽な授業を取ればよかった」という遺言を残して教室から消えます。どこに行ってしまったんでしょうね。

 

5.クラスLINEで不用意に発言する

クラスLINEでの発言は、クラスメイト全員を目の前に並べて「注目〜〜!」って視線をこちらに向かせた状態で発言したものだと思ってください。特に馴れ合いやウケ狙い発言は地雷どころか核兵器だと思ってください、陰キャラが発言したなら「目立たないヤツが突然イキり始めたけど何?」みたいな感想を抱かれ、陽キャラが発言しても陰キャラがスクショをTwitterに流して「クラス、限界」とか言い始めます。

 

6.五月祭に協力姿勢を見せない

どのクラスにも「みんなでつくる五月祭!」みたいな空気が充満しています。あの祭りを「自己実現の場」として捉えている人は非常に多く、自分のクラスの出し物があまりにも理想主義的な方向に進むことは多いでしょう。特に男子校出身などで「ホストに徹する学園祭」を多く経験してきた人には、本当にどうしようもなく見えるかもしれません。しかしそこで興ざめするような発言をしようものなら、あるいは非協力的な姿勢を見せるものなら、その時点でクラスのメインストリームからは離脱することになります。言いたいことがあっても我慢しましょう。少なくともクラスLINEなどで発言しないで、五月祭責任者などにこっそり言うのがよいかと思われます。

 

7.入試の点数を公表する

イカ東(注:いかにも東大生っぽいこと、基本的に蔑称)の大罪。基本的に見下されるか嫉妬される以外のオチが存在しないので誰も得しません。センターの点数がスカウターみたいに扱われる風潮もあるので「800……850……まだ上がり続けている……っ!(ボン!!」ってなった日にはフリーザ編もビックリの血みどろの争いになります。

 

 

それでは皆さん、死んでください。

「けものフレンズ」11話でむしろ心が救われた話

役割を伴って生み出されたキャラクターは、とことん無力だ。

 

うまい棒』を例に挙げたい。ドラえもんに似たあの灰色のキャラクターは、たいていの場合、パッケージで無害そうな笑顔を振り撒いていると思う。

彼(もしくは彼女)はどうして笑っているのかというと、当然、買い手に好印象を与えるためだろう。彼には、悲嘆に暮れたり、睨みつけたりする権利が与えられていない。この時点で、私はなんとなく彼の無力さが怖くなる。

うまい棒のパッケージが道端にポイ捨てされている場面なんて、もっと悲惨だ。雨に濡れて、ぐちゃぐちゃに踏み躙られたとしても、彼は無害そうな笑顔をたたえ続けている。ぞっとするくらいに健気だと思う。

「買い手」のように、「キャラクターとは異なる次元に生きる対象」を想定して作り出されたキャラクターは、その異なる次元に対して、あまりにも無罪で、無力だ。人気のない観光施設のマスコットキャラクターは、もっとひっそりとしてくれたっていい。満面の笑顔で「ようこそ!」なんて出迎えられると、なんだか本当に切なくなるのだ。

 

私は当初、けものフレンズのキャラクターたちに対して、コレに近い感情を抱いていた。プロジェクト創設者の一人であるKADOKAWAの梶井氏が「IP(知的財産権)の創出が当初の目的であった」と明言していた通り、動物的特徴をシンボライズした本作のキャラクターたちは、各々が特定のコンセプトに従いつつも、全体としては"役割"が与えられているといえるだろう。

「けものはいてものけものはいない」の一節に象徴される、ケモノだらけの優しい世界は、裏を返せば、我々視聴者を前提として作り上げられたディストピアである。「ディストピア」というのが特に重要で、すべての人間が消え去ったあとの退廃的な世界観だったからこそ、私は視聴者、消費者、あるいは神としての人間の存在を本作において強く意識せざるを得なかった。

彼女たちはエンターテイメントだ。視聴者が二次創作的に盛り上げていくIPには、ある種特徴的ともいえる「箱」だ。ケモノばかりで成立しているように見える世界は、実際のところ現実世界という異なる次元に生きるニンゲンを楽しませるために作り上げられたものでしかない。そんなニヒルな思考に囚われた私は、作品中における彼女たちの無垢さ・無罪さとの落差も相まって、「こんなに残酷な作品があって良いものなのか」と頭を抱えることになった。まだ多くの視聴者が「たのしー!」「すごーい!」とはしゃぎ回り、IQが下がるアニメだと弄んでいた5話の時点では、少なくともこういう認識である。ここで私は「このアニメを見続けると心が荒んでいく」と判断し、しばらくは視聴をやめることにした。

 

さて、心が遠心分離機にかけられるような思いをしてから1ヶ月と少しが経ち、「けものフレンズ」は11話の放送を終えた。

なにやらTwitterが騒がしいようなので、怖いもの見たさでニコニコに課金し、今までスルーしていたぶんも含めてイッキ見した。結論から言うと、私はこれで本当に救われるような思いがした。

物語は少しずつ佳境に差し掛かっていく。10話でミライさんの映像を観たサーバルちゃんが涙を流した。私も泣いたが、同時に心地よさを覚えた。無力な「箱」として提示され、感情すらもニンゲンに捧げていたはずの彼女は、これまでの不自然なまでの素直さが、うまい棒のパッケージに近い無力さを感じさせていた。ところが10話では、複雑な感情の揺らぎが涙として象徴的に表されていた。あぁ、この子にだって何かを知覚し、心の中で処理しようとして、それでも処理しきれなくなったら涙を流す権利があるんだ、と思った。

11話では、また違った角度から救われた気がした。超大型セルリアンからサーバルを庇い、かばんちゃんは捕食される。視聴者は絶叫する。この構図そのものである。

前述の通り、『けものフレンズ』はニンゲンを意識したディストピアであり、その一方でニンゲンはケモノたちの感情の機微を特に気にかけることもなく「たのしー!」なんてはしゃぎながら消費する傾向が強かった。片務的関係。彼女たちがどうにも報われない感じ。

ところが、次第に物語が展開していくうちに、作品に感情移入することで彼女たちに本気で向き合おうという視聴者が(ようは道端のうまい棒を拾い上げ、「こんなに踏まれて可哀想に」なんて気にかける人が)どんどん増えていった。それが11話の悲劇で、イッキに爆発した。

彼女たちが心配でどうしようもなくなる人や、発狂しかけている人を見るたびに、「ジャパリパークも報われたね」なんて思う。単なる箱でしかなかったケモノたちは、一方的に楽しませる対象だった多くのニンゲンへと確かな影響を与え、ついに作品世界から現実世界へと次元を超越することに成功したといえるのではないだろうか。

私の言語化が稚拙でうまく伝わっていないような気がしてならないが、とにかく、こんなことを考えながら12話を待っている。どんなラストであれ、私のなかでこの作品は救済された。ほんとうに大好きだからこそ、ほんとうに幸せだ。

財布のブランドをオタク100人に聞いてみた

さて、皆さんは最近のTwitterで流行りの構文をご存知だろうか。

たとえば、オタクが恋愛のことやら運動神経のことやら、何かしらイキった発言をしたとする。「俺オタクだけど流石に女の子から告白くらいされたことあるし普通の人生経験だと思ってる」みたいな。すごいキメ顏で呟いてそうな。

そんなセリフを見た他の誰かが、「俺オタクだけど流石に女の子から告白くらいされたことあるし普通の人生経験だと思ってる(オタク特有の早口)(クチャクチャ)(アディダスの財布)(親が買ってきたチェックシャツ)(プーマの筆箱)(指紋でベタベタのメガネ)(プリパラでマジ泣き)(ワキガ)(ドラゴンの裁縫セット)(瞬足)(コーナーで差をつけろ)」といった具合に、典型的なオタクの特徴を羅列しつつ改変して、「カッコつけた発言」を「ただのオタクの戯言」にグレードダウンさせて遊ぶものである。

オタクの自浄作用とも、「てめえオタクのクセしてマウンティングしてんじゃねえぞ」という威圧とも取れるこの構文であるが、中でも特に印象的(あるいは代表的)なオタクの特徴は「アディダスの財布」の部分といえるだろう。私自身、この構文の代名詞として「アディダスの財布」が使われているケースを何回も見た。

しかし、ここで根本的な疑問が浮かんだ。

「自分の周りでアディダスの財布を使ってるオタク、いたか?」

実際どうなのだろう。言うほどアディダスの財布って"オタクの特色"っぽくない気がする……。

そこで、実際に「何の財布を使ってますか」というオタクへの聞き込み調査を行ったのが本記事である。

 

【調査の概要】

2/5 15:13に「自分が少しでもオタクだと思う人は、このツイートを見たら『使っている財布のブランド』をリプライで教えてください」とツイート。その結果、

・2/6 17:24までに送られてきたリプライ92件

・TL上で回答してくれたオタク3人

・私のオタク友達4人

・自分

の合計100人の財布、のべ107個を調査することができた。まずは協力してくださった皆さんに心から感謝したい。

なお、「過去に◯◯を使っていた」という回答はブランドごとの個数にはカウントしていないが、別途集計した。「わからない」と「ノーブランド」は別集計としたうえでランキングからは除外した。

 

 

【調査結果】

 

1位 PORTER,ルイ・ヴィトン 6人

 

3位 Paul Smith 5人

 

4位 アディダス,COACH 3人

 

6位 PRADA,ラルフローレン,Vivienne Westwood,Lee 2人

 

10位以下 各1人

 

(「ブランドがわからない」は4人、ノーブランド品は7人)

 

 

【総評】

オタクが最も愛用する財布ランキングの結果は、吉田カバンの看板ブランド『PORTER』と、超有名ブランド『ルイ・ヴィトン』の同点1位となった。さらに2位には『Paul Smith』が続き、意外にも世のオタクが高級品を愛用していることが見て取れる。よって上記の構文も、

「俺オタクだけど流石に女の子から告白くらいされたことあるし普通の人生経験だと思ってる(右手にはPORTERの財布)(左手にルイ・ヴィトン)(頭上にPaul Smith)」

とするべきである。なんということだ。イキリオタクの痛々しい発言が富裕層の人生指南にしか見えない。

 

さて、「オタクの代名詞」とされていた「アディダスの財布」はCOACHと並んで4位である。やっぱりそんなにアディダスを使っていないのでは……と言いたいところだが、ここでもうひとつ興味深いデータがある。「現在進行形でアディダスを使っている」と答えたオタクが3人だったのに対し、「昔はアディダスを使っていた」と答えたオタクは4人もいたのだ。「昔は◯◯を使っていた」系の回答は何件も寄せられたが、「現在使っている人数」を「昔使っていた人数」が上回っているのはアディダスのみである。

ここで私は2つの可能性を考えた。

ひとつめは、「『アディダスの財布』構文の流行を受けてアディダスの財布が大量に破棄されている」説である。オタクはステレオタイプを嫌う傾向にある。「チェックシャツ=オタク」という言説が出回ってからチェックシャツを好んで着るオタクが明らかに激減したのと同様に、アディダスの財布を手放す人が急増しているのではないか?という説だ。もしこんな現象が本当に起きていたら創業者のアドルフ・ダスラーも墓の中でオイオイ泣いているに違いないが、正直なところ現実では考えづらい。

ふたつめは、「アディダスが幼児性の象徴と考えられやすい」説である。子供の頃はアディダスを使っていたけれど、大人になったから高級なブランドのやつに買い換えよう〜という人が多いということだ。「幼児性」という言葉を用いたのは、前述の構文中にある「親が買ってきたチェックシャツ」「瞬足」辺りとの兼ね合いもある。オタクの"子供っぽさ"を強調するために構文中で「アディダスの財布」を含むこれらのアイテムが機能しており、実際それらは子供が大人になるうちにお別れするケースが多いからこそ、「昔はアディダス」現象が多発したのだろう。

 

しかし「現在進行形でアディダスの財布を使っている」という私のフォロワーのオタクは、それをツイートしたのち、こう付け加えた。「俺は好きな財布使う。」……へんな風潮には負けず、"大人っぽい"やら"子供っぽい"やら、他人からどう思われようと自分は自分の好きなものを使うぞ!という姿勢を貫く。最高の気概だと思う。

"自分"を強く持っているオタクは美しい。胸を張って堂々と、親が買ってきたチェックシャツを羽織って瞬足で街に出かけてほしい。アディダスの財布も忘れずに。

とっとこハム太郎に見る「神」と「反逆」

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皆さんは「とっとこハム太郎」というアニメをご存知だろうか。簡単に言うと「ハムスターたちがケージから脱走して集まってきてワイワイするアニメ」だ。

その集まりを彼らは「ハムちゃんず」と自称しているのだが、私は前々からハムちゃんずの組織体制について言いようのない狂気をおぼえていた。それは「主に恋愛を原因としたドロドロの関係図の中に置かれており、なおかつメンバーごとの優遇・冷遇が露骨であるにもかかわらず、洗脳されたとしか思えないほど『なかよし』関係を強調して場を持たせている」ところにある。中学のブラスバンド部かよ。

 

まずは有名な画像で相関を整理してもらおう(拾い画で失礼)。

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この時点で「仲良し」が破綻している。

ハムちゃんずのメインキャラクターが15匹であり、男女比が11:4(4匹のメスのうちちび丸ちゃんは「うきゅー」以外のボキャブラリーを全て失ったため実質3匹)であることを考えると、リボンちゃんやマフラーちゃんのような姫が発生するのも自然といえる。しかし、こんな昼ドラも真っ青な相関のなかで「ぼくらは なかまさ」なんて言うのは些か白々しすぎやしないだろうか。

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リボンちゃんなんてもはや台風である。

 

この関係性を頭に入れてもらったところで、以下に新説を投げかける。

 

 

「へけっ」「くしくし」などと人畜無害そうな振る舞いをしているが、私は彼を「観測者」と位置づけるし、"神"としてこの組織を俯瞰する者であると考える。

根拠を説明しよう。大前提として、ハムちゃんずは「リボンちゃん」「マフラーちゃん」など外見的、あるいは「まいどくん」「ねてるくん」などの特徴的な性質を名に冠した者たちが、それぞれの性質に沿って与えられた役割を閉鎖空間で演じ続ける組織である。関西人らしい性質から「まいどくん」と名付けられたのか? 否。名付け親である人間がハムスターの関西人らしさを感受することは不可能だ。「まいどくん」と名付けられ、「関西人」という役割を与えられたことを受けて、それに沿った行動を自発的に取っている……。彼らのアイデンティティの構築過程がこのような順序であったことは確定的だろう。

そしてこの事実を「地下ハウス」の閉鎖的な性質と統合的に考えると、ハムちゃんずがさながらスタンフォード監獄実験のようなシチュエーションを再現していることに気づく。

スタンフォード監獄実験 - Wikipedia

このような空間では

元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態(特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまい、さらに強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいることで、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう状態)に陥ってしまう。

とされる。このような背景を理解すると、「ぼくらは なかまさ」関係を強調する彼らの心情も分かるようになるはずである。

こうしくんのように愚鈍で全く役に立たないどころかすぐにヒマワリのタネを無くし全体の足を引っ張るにもかかわらず最終的にじゃじゃハムちゃんとの結婚まで取り付けて最終話で放送されるような"神に愛されたハムスター"もいれば、パンダくんのようにハムスター離れした技術力を持っているにもかかわらず19話で「ハムちゃんずランド」を建設した際に「とっとこ活躍!パンダくん」とまるで普段はまったく活躍していないかのような(実際まったく活躍していない)サブタイトルを付けられ、その後サブタイトルに一度も「パンダ」の三文字が輝くことはなかったどころかアイデンティティたる「ハムちゃんずランド」とともに出番が激減していき、ついには245話でめがねくんに「ハムハムランド」と言い間違えられる(つまり脚本家すらハムちゃんずランドを忘れ去っていた)ほどに不遇なハムスターもいる。

このようにハムちゃんず内では個体ごとの力、立場の差が歴然であり、スタンフォード監獄実験の結果に基づくならば「次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう」危険性をはらんでいる。つまり、その暴走に歯止めをかけるため、理性を保ち続けるため、白々しくも「平等な仲間関係」を強調することが集団として不可欠だったのである。

さて、話を戻そう。地下ハウスという名の監獄において、ハム太郎のみが"役割"を与えられていないのにお気づきだろうか。すなわち「看守」でも「囚人」でもなく実験者のような立場であり、 コミュニティ内においてメタ認知能力を持った唯一のハムスターであると考えることができる。人間の社会になぞらえるならば間違いなく"神"的な立場であろう。さもなければ彼がハムちゃんずの絶対的なリーダーであることに誰もが盲信的であることは説明がつかない。彼は全てを俯瞰しており、ハムちゃんずの各々が与えられた"役割"に沿って行動し続けるよう静かに仕向けている。それが彼の支配力に疑問を抱かせないギミックともなっているのだ。

 

 

 

  • タイショーくん ー神への反逆者ー

さて、上記のことを踏まえ、タイショーくんの反逆者たる所以を説明しよう。

そもそも、ハムちゃんずに地下ハウスを貸し出しているのはタイショーくんである。彼はねてるくん以外の他のハムスターとは異なり「野良ハム」であり、人間の保護を受けられないため、命の危険に晒される可能性が圧倒的に高い。そもそもハムスターは寒暖差の激しい日本の気候には適応できず、野生のなかで自然繁殖することは非常に考えづらいため、タイショーくんは過去に捨てられた可能性が高い。カーストとしては間違いなく底辺である。

そんな底辺ハムスターは、1話のハム太郎とこうしくんに出会ったシーンで、「人呼んで タイショー」と自己紹介した。その一方で、彼のキャラソンである「のらハム行進曲」では「おれさまは野良ハムだからな、今までずーっとひとりだったんだ」と語っている。これらの事実から、タイショーという名前すら「人呼んで」と偽りつつも自称に過ぎない可能性が高い。捨てられた自分自身を「タイショー」と自称したときの心情はいかなるものだったのだろう。野良ハムスターであることへのコンプレックス、さらには自分自身へのコンプレックスを抱え、それを包み隠すように「タイショー」などという称号を用いる、そんな出自に自信を持てない人間の歪みを反映したかのようなキャラクターである。

もうひとつ、1話を見ていて気づくべきことがある。タイショーくんのハム太郎たちに対する態度が、その後の彼からは想像もつかないほど柔和で温厚なのである。

youtubeに公式動画がアップロードされているのでそちらを参照されたし。諭すような口調、寛容な態度……。自宅への通路を破壊して不法侵入してきた非常識な飼いハムスターに対して、出自へのコンプレックスを抱えた野良ハムが取るとは考えづらい行動だ。

しかしこれも彼の人心掌握術の一環であると考えれば決して不自然ではない。初対面の飼いハムスターに対し自身が「大将」であると自己紹介することで刷り込みを行い、その後自身の家に案内することで心を開いているかのようにアピールし、最後にリボンちゃんへの恋心を打ち明けることでアドバイスを引き出すのみならず"弱み"を見せつけ信頼させる。2話でタイショーくんの家を改装した「地下ハウス」を拠点に「ハムちゃんず」というコミュニティを作るという展開も彼にとっては全て予定調和であり、事前に人心掌握を行っておくことでカースト的に自分よりも上位である飼いハムスターのコミュニティに入るという"ステータス"を得られるのみならず、その中でも支配的な立場を手に入れられるという算段である。コンプレックスを抱える相手よりも立場的に上になろうとするのは自然な心理であるし、それが彼にとっての人生逆転のための攻勢であったのかもしれない。 あるいは、ハム太郎が"役割"に縛られない絶対的な存在であると最初から察知していた可能性もあるが、いずれにせよ、ハム太郎に気に入られることで自身の立場を確立させようという魂胆が垣間見える。

こうしてハムちゃんずの重鎮となったタイショーくんであるが、それは前述のように心を掌握したことで"神"たるハム太郎に気に入られていたからに過ぎない。あくまで神側における下位の存在、いわば「天使」のような立ち位置に過ぎず、肝心の恋愛面ではハム太郎に完全敗北している。リボンちゃんは飼いハムの中でもカースト上位、いわゆるお嬢様であり、底辺であるタイショーくんのことを平気で利用するような腹黒女である。しかもハム太郎に熱中しており自分には見向きもしない。そのためかしばしばタイショーくんがハム太郎を出し抜いてリボンちゃんに言い寄ろうとするシーンがあるのだが、ことごとく成功しない。当然である。ハム太郎メタ認知能力を伴った神であり、所詮は監獄のなかで強い力を持ったに過ぎないタイショーくんに出し抜ける相手ではないのである。

しかし"天使"でありながら次第に神への反逆姿勢を見せるようになる点は、彼の特質を端的に表している。私はこう主張したい。彼は神に対して積極的に反逆し、堕天使となった者である。

それを裏付ける証拠が、無印最終話である193話にある。

ハム太郎とっとこむ:アニメストーリーしょうかい

タイショーくんの心の中で、悪魔タイショーくんと、天使タイショーくんが、あらそいをはじめた。
「恋のライバル、ハム太郎がいなくなれば、リボンちゃんとラブラブになるチャンス」と、悪魔タイショーくん。
「タイショーくんにとって、ハム太郎はたいせつな友だち」と、天使タイショーくん。
そして、とうとう、悪魔タイショーくんが勝ってしまった。 

 キリスト教の教理では、悪魔は堕天した天使であるとされる。このシーンにおいて彼は神であるハム太郎に反逆し、本来の天使としての性質と、悪魔としての性質の間で揺れた結果、ハム太郎の手によって堕天され悪魔となったのである。これはハム太郎の"神性"を裏付ける更なる根拠であるし、「天使と悪魔の闘い」「悪魔の勝利」は堕天を象徴的に表現していると見るのが自然である。

堕天後の彼は酷いものである。ハムちゃんず内での立場を失ったことを危惧してか193話では「自分探し」という名目で地下ハウスを脱走。195話からはハムちゃんずと接触する際に「ヒーローハム」という別名義を使わざるをえない状況になった。その後すぐハム太郎によって正体が暴かれてしまったが、190話および235話において張られたタイショーくんとおしゃれちゃんの恋の伏線も289話で唐突に「おしゃれちゃんはハム太郎が好き」という設定が付加される(露骨な圧力である)ことで改竄されてしまうなど、やはり明らかに冷遇が加速している。

ヒーローハム時代の201話なんて特に酷いものである。

ハム太郎とっとこむ:アニメストーリーしょうかい

タイショーくんがタネを地面にうめると、見る見るうちにたくさんの芽が出てきて、あっというまに魔法の花がいっぱい咲いた。
しかも、その魔法の花は、タイショーくんが言った言葉をそのままくりかえすではないか。
そうだ!この花を使って、リボンちゃんにヒーローハムのひみつを教えてしまえばいいのだ!と、タイショーくんは思いついた。

タイショーくんは、さっそく魔法の花に言葉を教えこんで、こっそりと、リボンちゃんに魔法の花の言葉を聞かせた。
ところが、リボンちゃんにむかって魔法の花が言ったのは…
「せいぎのヒーローハムは、ハム太郎なのです」
それを聞いて、びっくりするリボンちゃん。
ハム太郎がヒーローハムだったなんて…と、リボンちゃんはすっかりかんげきしてしまった。
どうもようすがおかしいと思ったタイショーくんは、もう一度、やり直してみることにした。

いっぽうリボンちゃんは、ヒーローハムのひみつのことで、なやんでいた。
よく考えると、ヒーローハムとハム太郎がいっしょにいたこともあったのだ。
そこに、ヒーローハムが、魔法の花を持って登場した。
ヒーローハムは魔法の花をリボンちゃんにプレゼントして、さっていった。

そして、魔法の花が、しゃべり出した…。
「タイショーくんは、おたんこぴーなのです」
やっぱり、魔法の花は、大しっぱい。
がっかりするタイショーくん。

神の存在なしに、こんな露骨な情報統制が起こり得るだろうか。神の怒りを買ったことは、これほどまでに罪深いのだ。

 

 

以上より「とっとこハム太郎」の本質は、監獄のなかで"役割"を与えられたハムスターたちが、仲良しごっこにより理性を保ちつつ、最終的に全員が神であるハム太郎に屈服するアニメである。

「東大に入ったら妹作ってやる」と言われたので入ったらいつの間にか妹ができていた話

前回の鬱ハムbotに引き続き、「そろそろ時効だろう」シリーズ第2弾です。

 

 

 

半年前に、こんなツイートが話題になったかと思います。

「妹がほしい」……ひとりっこ男子が高確率で抱く願望。

「東大に行きたい」……これもまた多くの人が抱く願望。

こんな2つの願望を漠然と抱え、日々悶々としていた私は、高2に進級する直前、強欲にも「どちらもいっぺんに叶えよう」と考え、母にこのような頼みごとをしたのでした。

当時の私は成績も低迷しており、このくらいの対価がないと勉強を始められる気がしなかったので、自分を奮い立たせる意味もありました。母も冗談半分でしたが、それでも「本当に受かったら出来る限りのことはする」と約束してくれました。

 

この話をする前に、まず前提として、両親について触れる必要があります。

 

 

こんな具合に、オタク大学生の2人は学生結婚してしまいました。ということで母も18歳の子供がいる割にはまだ若く、妹を産もうと思ったら普通に産める年齢です。

しかし最大の問題点は、18年前に私が産まれてからしばらくして、いろいろあって2人が離婚してしまったところにあります。苗字は母子ともに父の家系のままですが、親権は母が得たため、現在では父親とはほとんど無縁になっており、連絡もついたりつかなかったり……。

そんな状態なので、母も「出来る限りのことはする」という発言に留めたのだと思います。人間が産まれるにはタネが必要ですからね。コウノトリさんは万能ではない。父と連絡がついて承諾してもらえるか、あるいは他の男性を見つけるか、そういったことが起きない限りは不可能です。

私も状況の難しさがすぐにわかったので、「うおおお妹つくってもらうぞォォォ」といった感じの意気込みも、2週間後には「まあできたらでいいよ、うん」程度にしぼんでいました。それでも、「伏線を張っておいて2年後に合格報告で回収したらめっちゃウケそうだな」という汚い思惑もあって、この計画を、Twitterも含めて周囲に積極的に話していくことにしました。

 

さて、時は流れ2年後。無事に東大に合格しました。文学部志望なので文科三類に決めたのですが、いざ入ってみると女の子がいっぱいいてすっごいこわいです(免疫のない男子校出身者並みの感想)。

合格報告ツイートは、2年前の"伏線ツイート"とともに各所で取り上げられ、雑誌やテレビ局から取材の申し込みが入るなど(恥さらしになってしまうので断りました笑)、「妹作ってやる」の件は想像以上に話題になったように思います。

 

さてここからが本題です。

大学の入学式直前くらいのタイミングで、「高校までの人脈も維持しつつ大学で新しい出会いを〜」といった、ごくありふれた理由でFacebookを開設しました。そして友人や親戚と繋がっていったのですが……。

 

父方の祖父(私は父自身とは疎遠ですが、父の家族には今でもよくしてもらっています)と繋がった際、友達一覧に、私と同じ姓の、見知らぬ女性がいたのです。

誰だろう。まさか……? と思いつつ、その女性のページに飛ぶと、私の父との結婚式の写真が出てきました。なんというか「幸せそうだなオイ……」って感じの写真でした。

そう。いつの間にやら、父は再婚していたようです。

 

さらにその後、数年ぶりに父から連絡がありました。「大学入学を祝って食事に連れて行きたい」といったものでした。おそらく、再婚した件もここで伝えるつもりだったのでしょう。いろいろと複雑ではありましたが、その食事を承諾し、感動ではないものの、親子の再会を果たすことになりました。

 

そこで見せられたのが、赤ちゃんの写真。今年産まれたばかりの娘だという。なるほど、確かに新しい奥さんは父よりもさらに若いので、子供が産まれるのも自然です。

……と、ここで大切なことに気づく。妹じゃね?

 

母は違うけれど、父親は一緒だ。ならば「腹違いの妹」じゃないか? 確かに血は半分繋がっているし、法律上結婚もできない。これもう完全に妹だ。

 

……そう分かったところで、正直なところ、あんまり素直には喜べなかったですね。唐突すぎるし、母親知らない人だし、一緒に暮らせるわけでもないしー……。

 

 

 

 

 

これまでの妹への願望ツイートたちが、走馬灯のように脳裏をよぎる。これだけ妹への意欲に溢れていたんですよ私は……。ずーっと、ずーっと存在しない妹への愛を語り続けて、しかも少しずつ確実に歪んでいって、最後に手に入れた時には「そっか……お幸せにね……」以外の感想が抱けない。

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しかし父にも父の人生があるわけですからね。こちらがどうこう言える話でもない。

でもきっと、再婚と2人目の子供の誕生の裏で、1人目の子供がこんなにアレコレと思い悩んでいただなんて、父には想像もつかないでしょうね笑。

 

 

【おまけ(というかこっちが本編?)】

妹の誕生日は1月17日。つまり2016年9月7日現在、7か月ということになります。

突然ですが、ここで問題。

1月17日の私は何をしていたでしょう?

 

 

 

センター試験を解いていた……ッ!

 

そう、「大学に合格したら妹を作ってもらう」つもりが、「大学に合格するための試験を受けている最中にいつの間にか妹ができていた」という予想だにしない結末だったのです。なんという偶然でしょう。

 

しかし、偶然はこれだけではありませんでした。

 

父「いやあ、東大かぁ(ユッケをかき混ぜながら)」

私「ははは……」

父「そういえば、東大で思い出したけど」

私「ほう」

父「ニュースサイトで見かけたんだけど」

私「(まさか)」

父「これこれ。この『えいちゃー』って人が、東大に入ったら妹を作ってもらうって約束してたんだってさ」

私「へー(心臓麻痺)」

父「この子も文科三類だから、もしかしたら会うことになるかもね。『私』って言ってるからたぶん女の子だと思うけど」

私「(気づいてはいない……その人が隣に座っている自分の息子だっていうことには気づいていない……)」

 

世界は狭いですね。皆さんも、親に妹を作ってもらうために東大に行く際は、ぜひ私の例を教訓にして、くれぐれも気をつけて下さい。